東京高等裁判所 平成7年(う)705号 判決 1997年3月24日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役三年に処する。
この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。
被告人から金四二七〇万円を追徴する。
訴訟費用中、別紙記載の分は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、検察官甲斐中辰夫作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人横井大三、同下井善廣、同安西愈、同大室征男、同関根靖弘、同稲益孝、同井出大作連名の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
所論は、要するに、内閣官房長官(以下「官房長官」という。)であった被告人が、その職務に関して、江副浩正らから請託を受け、その報酬として供与されるものであることを知りながら、小切手合計一七通(金額合計二〇〇〇万円)を受領するとともに、店頭登録後確実に値上がりが見込まれ、一般人が入手することが困難な株式会社リクルートコスモス(以下「リクルートコスモス」という。)の株式一万株を、店頭登録後見込まれる価格より明らかに低い一株当たり三〇〇〇円で譲り受けて取得し、もって、それぞれ被告人の職務に関して賄賂を収受したことが明らかであるのに、原判決はこれが明らかでないとして被告人を無罪としたものであり、原判決は証拠の取捨選択及び評価を誤り事実を誤認したものであって、この誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
そこで、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。
一 本件公訴事実の要旨
被告人は、衆議院議員であり、昭和五八年一二月二七日から昭和六〇年一二月二八日までの間、官房長官として、内閣の庶務、行政各部の施策に関するその統一保持上必要な総合調整等の内閣官房の事務を統轄する等の職務に従事していたものであるが、民間企業の大学等卒業予定者の早期採用選考を防止して求人求職秩序の確立を図るため、民間企業が行う求人活動等につき、企業と大学等卒業予定者の接触開始日を卒業前年の一〇月一日、企業の採用選考開始日を同年の一一月一日とする旨の中央雇用対策協議会及び国立大学協会等で構成する就職聞題懇談会の各申合せ(以下「就職協定」という。)が遵守されていないことを知悉していたところ、
1 昭和五九年三月中旬ころ、東京都千代田区永田町二丁目三番一号内閣官房長官公邸(以下「公邸」という。)において、民間企業から掲載料を得て大学等卒業予定者向けの求人等に関する諸情報を掲載する就職情報誌(以下「新規学卒者向け就職情報誌」という。)の発行、配本等の事業を営む株式会社リクルート(以下「リクルート社」という。)の代表取締役である江副浩正(以下「江副」という。)から、民間企業における就職協定が遵守されないのは、国の行政機関が公務員の採用に関して就職協定の趣旨を尊重しないことに一因があり、就職協定が存続、遵守されないとリクルート社の前記事業に多大の支障を来すので、国の行政機関において就職協定の趣旨に沿った適切な対応をするよう尽力願いたい旨の請託を受け、その報酬として供与されるものであることを知りながら、
(一) 昭和五九年八月一〇日ころ、同区永田町二丁目一〇番二号秀和永田町TBRビル八〇七号室藤波事務所において、江副らから、リクルート社代表取締役江副振出しに係る金額二〇〇万円の小切手一通及びリクルート社の関連会社である株式会社リクルート情報出版代表取締役江副振出しに係る金額三〇〇万円の小切手一通を受領し、
(二) 昭和五九年一二月一九日ころ、前記藤波事務所において、江副らから、リクルート社代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手三通(金額合計三〇〇万円)及び株式会社リクルート情報出版代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手二通(金額合計二〇〇万円)を受領し、
2 昭和六〇年三月上旬ころ、前記公邸において、江副らから、前記1記載と同様の請託を受け、その請託及び前記1記載の請託の報酬として供与されるものであることを知りながら、
(一) 昭和六〇年六月二六日ころ、同区永田町二丁目三番一号内閣総理大臣官邸において、江副らから、リクルート社代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手五通(金額合計五〇〇万円)を受領し、
(二) 昭和六〇年一二月五日ころ、前記秀和永田町TBRビル六〇二号室藤波事務所において、江副らから、株式会社リクルート情報出版代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手五通(金額合計五〇〇万円)を受領し、
(三) 昭和六一年九月三〇日ころ、前記藤波事務所等において、江副らから、同年一〇月三〇日に日本証券業協会に店頭売買有価証券として店頭登録されることが予定されており、右登録後確実に値上がりすることが見込まれ、江副らと特別の関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難であるリクルートコスモスの株式を、右登録後に見込まれる価格より明らかに低い一株当たり三〇〇〇万円で一万株を譲り受けて取得し、
もって、自己の前記職務に関して賄賂を収受したものである。
二 本件の背景となる事実関係
関係証拠によれば、本件の背景となる事実関係は、これを要約すれば、以下のとおりであると認められる。
1 被告人の経歴
被告人は、早稲田大学商学部を卒業後、本籍地で家業の菓子製造販売業を営んでいたが、昭和三八年四月に三重県議会議員に当選し、次いで、昭和四二年一月に衆議院議員総選挙に三重県第二区から自由民主党(以下「自民党」という。)の公認候補として立候補して当選し、以後同選挙区から連続して八回の当選を重ねていた。そして、昭和四七年七月に科学技術政務次官、昭和四八年一一月に文部政務次官、昭和五四年一一月に労働大臣、昭和五七年一一月に内閣官房副長官に就任したほか、昭和五八年一二月二七日から昭和六〇年一二月二八日までの間は官房長官の職にあった。
2 本件関係会社の概要
(一) リクルート社は、昭和三五年一〇月に江副が広告の取扱い等を目的として設立したものであり(当初の商号は株式会社大学広告、昭和三八年四月に株式会社日本リクルートメントセンター、同年八月に株式会社日本リクルートセンター、昭和五九年四月に株式会社リクルートと順次商号が変更されている。)、江副が設立以来昭和六三年一月まで代表取締役社長を務めていた。主要な事業は、民間企業から掲載料を得て、新規学卒者向け就職情報誌等の各種情報誌の発行、配本等であり、右の新規学卒者向け就職情報誌の分野では、業界において圧倒的に高いシェアを有して、高い収益をあげており、右就職情報誌発行事業はリクルート社の基幹事業ともいうべき地位を占めていた。
(二) リクルートコスモスは、江副が昭和四四年六月に広告映画等の企画、製作等を目的として設立したものであり(当初の商号は株式会社日本リクルート映画社、昭和四九年二月に環境開発株式会社、昭和六〇年三月に株式会社リクルートコスモスと順次商号が変更されている。)、昭和四九年二月に事業目的を不動産の売買及び賃貸等と変更して、いわゆるマンションの販売等の不動産業に進出してからは、急激に売上高を伸ばしてきたものであり、設立以来代表取締役社長を務めていた江副に代わり、昭和六〇年七月三〇日、池田友之が代表取締役社長に就任し、江副は代表取締役会長に就任した。
(三) ファーストファイナンス株式会社(以下「ファーストファイナンス」という。)は、江副が、昭和五九年三月にリクルートコスモスが販売するマンションの購入者に融資業務を行う目的で設立したものであり、設立以来代表取締役社長を務めていた江副に代わり、昭和六〇年七月には小林宏が代表取締役社長に就任し、江副は代表取締役会長に就任した。
(四) 株式会社リクルート情報出版は、江副が昭和五二年一二月に民間企業から掲載料を得て、女性及び転職希望者向けの求人に関する諸情報を掲載する就職情報誌の発行、販売等の目的で設立したものであり(当初の商号は株式会社就職情報センター、昭和五九年四月一日に株式会社リクルート情報出版に商号が変更されている。)、昭和六一年一〇月にリクルート社に吸収合併された。
3 就職協定及び公務員試験に関する経緯
(一) 大学卒業予定者の就職に関しては、職業安定法三三条の二により、公共職業安定所を通すことなく大学において無料の職業紹介ができるため、各大学では従来から卒業予定者の企業に対する職業あっせんを行っていたが、文部省は、昭和二八年六月、大学卒業予定者の求人求職秩序を確立する等の目的から、労働省の協力を得て、国立大学協会、日本私立大学連盟等の各大学関係団体と日本経営者団体連盟(以下「日経連」という。)等の各経済産業団体による大学卒業予定者就職問題懇談会を開催し、大学関係団体が「大学卒業予定者の企業に対する推薦は一〇月一日以降とする」旨の申合せを行い、経済産業団体は大学関係団体の右申合せに協力することを約束し、以後も毎年同様の申合せが行われ(時期の点は変動している。)、これを受けて文部省は、各大学関係団体及び各大学に対し右申合せに協力されたい旨の通知書を発出するとともに、各経済産業団体にも同旨の依頼書を発出するなどの行政指導をしていたが、このような大学卒業予定者の求人求職秩序の確立を図るための大学関係団体等の申合せ等が一般に「就職協定」と称されるようになった。そして、この就職協定の果たす役割としては、大学卒業予定者の早期選考防止、選考時期の明確化による大学卒業予定者の機会均等の確保、卒業年次における大学教育の適正な実施、企業の人事採用計画の円滑な実施(過当採用競争の沈静化)、就職の内定から決定までの期間の適正化による企業の業績悪化を理由とする採用内定取消しの防止等が挙げられていた。
(二) しかし、昭和三〇年代後半のいわゆる高度経済成長の時期を迎えて、民間企業の大学卒業予定者に対する求人活動は激しさを増し、採用活動が就職協定に違反して早期に行われるようになり(以下、これを「青田買い」という。)、各経済産業団体は、就職協定が有名無実化したとして、昭和三七年以降は前記大学卒業予定者就職問題懇談会に参加せず、大学関係団体の申合せにも協力しないという状態が続くようになった。
(三) その後の昭和四七年五月三一日に、衆議院内閣委員会において大学卒業予定者の青田買いによる弊害に関する質疑が行われたことを契機として、文部省及び労働省によるこの弊害是正のための行政指導が強く求められたことから、大学関係団体は、同年一〇月二五日に開催の大学卒業予定者就職問題懇談会において、昭和四八年度の就職協定(昭和四九年三月大学卒業予定者についての昭和四八年における就職活動に関するものをいう。以下、他の年度についても同じ。)に関して、「就職事務は七月一日以前には行わないこと、求人側に対する大学卒業予定者の推薦は一〇月一日以降行うこと」とする申合せを行い、また、各経済産業団体も、昭和四七年一一月二〇日に開催の雇用問題協議のための労働省の常設の中央雇用対策協議会(以下「中雇対協」という。)において、大学卒業予定者の採用に関しては、「選考は卒業前年の七月一日以降とする。求人のためにする行為は五月一日以降とする。」旨の決議をし、両者の内容には食い違いはあったものの、いわゆるブリッジ方式の就職協定が成立し、文部、労働の両省は、各大学関係団体、各大学、各経済産業団体等に対して、就職協定を周知徹底させて遵守するようにされたい旨の通知書又は依頼書を発出し、また、労働省は、リクルート社等の新規学卒者向け就職情報誌の出版企業に対して、就職協定の趣旨を尊重して企業案内書の大学卒業予定者への送付を卒業前年の四月一五日以降とされたい旨の依頼書を発出するなどして、大学卒業予定者についての就職秩序維持を図るための行政指導が行われるようになった。
(四) 一方、昭和五一年に大学卒業予定者就職問題懇談会に高等専門学校関係団体も加入したので、名称を就職問題懇談会と変更したが、昭和五一年度の就職協定では、就職問題懇談会の申合せも中雇対協の決議も、ともに、「企業と大学等卒業予定者の接触開始日は卒業前年の一〇月一日とし、企業の採用選考開始日は同年の一一月一日とする。」こととされたので、大学関係団体等と経済産業団体との足並みがそろうようになり、いわゆる「一〇―一一協定」と称される就職協定ができることとなった。また、人事院は、従来、国家公務員の幹部になる職員を採用するための国家公務員採用上級甲種試験(以下「公務員試験」という。)の最終合格者の発表を八月上旬ないし九月上旬に行っていたが、昭和五〇年度の中雇対協の決議で、企業の採用選考開始日がそれまでの七月一日から一一月一日に繰り下げられたことに伴い、経済産業団体から要請を受け、公務員試験の最終合格者の発表もこれに合わせて、その期日が前年度の九月九日から一一月一日に繰り下げられることになった。
(五) しかし、中雇対協では、昭和五三年一二月に労働省、日経連等で構成する決議遵守委員会を設置し、昭和五四年度の就職協定から、労働省が中心となって、協定違反の実情を調査するとともに、協定違反企業に対しては注意、勧告等の制裁措置を講ずることとしたが、協定違反企業が後を絶たないばかりか、就職協定が定めた接触開始日のかなり前から、OB訪問などと称して、事実上の面接選考が行われるようになっており、このようなことから、労働省は、昭和五六年一一月二六日に開催された中雇対協において、「就職協定に関しては、企業及び大学等の関係者の多くに守られないという極めて残念な結果となったが、労働省は、労働行政が今後とも就職協定に関与し続けるとすれば、行政の公平性を失いかねないこと、このような状況が続く限り学生の就職問題に今後いろいろなゆがみを残すおそれがあることなどを熟慮した結果、行政としては就職協定に参加することは今年度限りといたしたい。」として、中雇対協の決議に参加しない旨宣言し、昭和五七年度の就職協定から完全に撤退することになった。
(六) そこで、中雇対協は、昭和五七年一月二九日、昭和五七年度の就職協定に関し、従前の決議制度や決議遵守委員会を廃止して、改めて「一〇―一一協定」を継続する旨の経済産業団体の申合せを行い、就職問題懇談会も同旨の申合せを行って、就職協定を成立させ、同年度の就職協定は、労働省が撤退した危機感も加わって、おおむね遵守されたと評価される状態で推移したものの、昭和五八年度の就職協定では、また、新規大学等卒業予定者の夏期休暇期間中の就職活動が目立ったほか、OB訪問と称する面接選考が横行し、協定違反の行動が数多く発見、指摘される状態であった。このように、青田買いが横行する原因の一つは、国の行政機関が就職協定の対象外であることから、公務員試験の合格者からの各省庁の採用選考が早期に行われ(以下、これを「官庁の青田買い」という。)、このため、日本銀行や日本開発銀行等の政府系金融機関がこれに連動して動き始め、これらと採用の対象が共通する都市銀行、商社等が優秀な人材の確保を目指して浮き足立ち、さらに、他の民間企業もこれらに釣られて動き始めるのである、と大手民間企業を中心に強く主張されていた。
(七) 昭和五八年度の就職協定も、一〇月一日から学生の会社訪問が解禁され、一一月一日から企業による面接、選考が開始されるというものであったが、一方、同年度の公務員試験は、七月三日に第一次試験、八月二日ないし一九日に第二次試験、一〇月一五日に最終合格者の発表という日程であり、右合格者の中から各省庁が必要な職員を採用するというものであったため、公務員を志望する受験者には、就職協定による会社訪問の解禁日を経過しても公務員試験の合否が依然として不明であるため、試験の結果に不安を抱き先に民間企業への就職を決めてしまう傾向があるとして、各省庁の人事担当者からは、そのような事態を回避して優秀な人材を確保するためには、公務員試験の最終合格者の発表期日(以下「公務員試験の合格発表日」という。)を繰り上げるべきであるとの意見が強く主張されるようになり、公務員試験を所管する人事院でも、就職協定による会社訪問が解禁される一〇月一日には公務員試験の合格者も各省庁を訪問することができるように、公務員試験の合格発表日は少なくとも一〇月一日に繰り上げる必要があると考えるようになった。そこで、人事院の担当者が、就職協定の一方の当事者として中雇対協において主導的な役割を果たしている日経連の担当者に、昭和五八年度の公務員試験の合格発表日の繰上げについて打診したが、日経連側からは就職協定の遵守に悪影響があるとして強い反対があり、結局人事院も同年度はこれを断念した。
(八) しかし、この点についての各省庁人事担当者の要望は極めて強く、同じ意見であった人事院の担当者が日経連の担当者に、昭和五九年度の公務員試験の合格発表日の繰上げについて重ねて申入れをしたところ、日経連側から、官庁側で民間の就職協定の趣旨を尊重することを確約すれば、公務員試験の合格発表日を繰り上げることについては反対はしない旨の意向が示された。そこで、この問題を担当していた森園幸男人事院任用局企画課長(以下「森園課長」という。)は、各省庁人事担当者の会議である各省庁人事担当課長会議(以下「人事課長会議」という。)において就職協定の趣旨を尊重する旨申し合せることを考え、昭和五九年三月九日、人事課長会議を主宰する中村徹内閣参事官兼内閣総理大臣官房人事課長(以下「中村内閣参事官」という。)及び大蔵省と通商産業省(以下「通産省」という。)の人事担当者とともに、法曹会館で日経連の担当者である井上捷夫日経連労務管理部雇用課長(以下「井上課長」という。)と意見交換を行い、さらに、同月一六日には、中雇対協の主要メンバーである日経連、日本商工会議所及び全国中小企業団体中央会の幹部が話し合った結果、国の行政機関が就職協定の趣旨を尊重することを条件として、公務員試験の合格発表日を繰り上げることに基本的な了解が得られ、同月二一日、鹿児島重治人事院任用局長(以下「鹿児島局長」という。)が松崎芳伸日経連専務理事(以下「松崎専務理事」という。)と会談し、公務員試験の合格発表日を繰り上げること及び国の行政機関は民間の就職協定の趣旨を尊重しこれに協力することの合意が成立した。そして、同月二八日に開催された中雇対協において、公務員試験の合格発表日の繰上げが了承され、また、同日開催された人事課長会議において、民間企業の選考開始日が一一月一日であるとの認識の下、一〇月一日以前の学生のOB訪問及び一〇月一日以降の官庁訪問についても、就職協定の趣旨に沿った対応をする旨の申合せがされた。
4 リクルート社と就職協定
(一) リクルート社の行う新規学卒者向け就職情報誌事業は、民間の各企業から掲載料を得て、新規大学等卒業予定者向けの企業案内や求人情報に関する諸情報を掲載した就職情報誌を発行し、これを新規学卒者に無料で配布するという、広告事業である。右事業は、昭和三七年四月に、「企業への招待」(昭和四四年二月に「リクルートブック」と改題された。)を創刊して、開始され、後に述べるとおり、就職を希望する新規大学等卒業予定者と求人企業とを結ぶ媒体として広く知られるようになり、リクルート社の基幹事業となるとともに、業界でも圧倒的に高いシェアを占めることとなった。
(二) 就職協定により、新規大学等予定者と求人企業との接触禁止期間中の接触は禁じられるので、新規大学等卒業予定者が接触禁止期間中に就職を希望する求人企業に関する情報を得ようとする場合には、リクルートブック等の新規学卒者向け就職情報誌が全面的に活用されることになり、したがって、就職協定の存在とその遵守は、就職を希望する新規大学等卒業予定者と求人企業との両者を結ぶ媒体としての就職情報誌の価値を一層高める関係にある。一方、就職協定が廃止され、あるいは遵守されない場合には、求人企業と新規大学等卒業予定者とが早い時期から接触して就職活動をするようになり、その結果、両者間の媒体としての就職情報誌の価値は低下し、求人企業から入る広告料等の収入が激減する可能性もある(なお、江副の原審第一一〇回公判供述、勝野課長の原審第七一回、位田専務取締役の原審第四四回各公判証言によると、江副らは、いずれも、就職協定の存続、遵守とリクルート社の新規学卒者向け就職情報誌の売上げとは相関関係はない旨供述するが、原判決が認定、説示するとおり、関係証拠と対比すると、右供述ないし各証言はいずれも信用することはできない。)。また、就職協定が遵守されない場合には、就職協定不要論が強まり、その上、青田買いが横行する原因の一つとして無秩序な就職情報誌のはんらんが指摘され、この種就職情報誌に対する法規制の必要性が云々されるおそれもあると考えられていた。さらに、新規学卒者向けの就職情報誌は、時期に応じて、多種類のものが、連続的かつ迅速に、大量に発行され、配本されることが予定されており(例えば、昭和六〇年度のリクルートブックに関しては、大学三年生を対象として、その三月に「日本のビッグビジネス」を、大学四年生になると、四月に「リクルートブック会社研究」を、六月に理科系学生を対象とする「リクルートブック就職情報編」を、九月には文化系学生を対象とする「リクルートブック就職情報編」をそれぞれ発行して、配本している。)、就職協定が廃止されたり、遵守されなかった場合には、多種類のリクルートブックの計画的な発行及び配本の業務に重大な支障を来すことが明らかであった。したがって、リクルート社では、右の新規学卒者向け就職情報誌の事業の順調な展開のためには、就職協定の存続及びその遵守が不可欠であると認識されており、青田買いが横行して、採用活動が早期に行われることになると、リクルート社の事業自体の商機が短縮することになるだけでなく、就職協定不要論が強くなり、さらに、新規学卒者向け就職情報誌に対する法規制の必要性が主張され、ひいては就職情報誌一般に対する行政機関の介入を招くことになるおそれがあるとして、就職協定の存続、遵守を図ることが必須であると認識され、就職協定の動向については、これを担当する事業部を中心に細心の注意を払っていた。
(三) しかし、昭和五八年度の就職協定については、協定違反が随所に見受けられた上、昭和五九年一月一三日には、松崎専務理事が就職協定を廃止する趣旨の発言をしたとの新聞報道もあり、このようなことから、リクルート社では、昭和五九年度の就職協定の存続、遵守について、強い危機感を抱くようになり、その後開催された取締役会においては、江副から、就職協定が乱れることはリクルート社の事業展開にとって大変不利なことであり、少なくとも前年並みの就職協定の存続及び遵守を関係者に働き掛ける必要があるとの意見が述べられ、これがリクルート社の方針として了承された。
三 控訴趣意に対する判断
1 原判決の概要
原判決は、昭和五九年三月及び昭和六〇年三月の、江副らから被告人に対する国の行政機関において就職協定の趣旨に沿った適切な対応をするよう尽力願いたい旨の請託の存在、並びに本件各小切手供与及び本件リクルートコスモス株譲渡の賄賂性に関する被告人の認識について、いずれもその証明が不十分であると判断して、被告人を無罪とした。
2 昭和五九年三月の請託の有無について
(一) 原判決の認定の要旨
江副は、就職協定を存続、遵守させるためには、公務員試験の日程を大幅に繰り下げるのが望ましいと考えたので、昭和五九年三月一五日に被告人を公邸に訪問した際、民間の就職協定が遵守されない大きな原因の一つが官庁の青田買いであることを説明した上、公務員試験の日程の繰下げが官庁の青田買い防止の一方法であり、それを実現する方策はどうしたらよいのかを被告人に相談したのであって、それ以上に被告人に対して官庁の青田買い防止を請託したことについては、合理的な疑いが残る。
(二) 控訴の趣意
江副は、昭和五九年三月一五日、公邸に被告人を訪問し、被告人に、民間企業において就職協定を遵守しないのは、国の行政機関が国家公務員の採用に際して、民間の就職協定の趣旨を尊重しないで、早い時期に青田買いをすることに一因があることなどを説明した上、国の行政機関において、就職協定の趣旨に沿った適切な対応を取り、青田買いには及ばないように尽力願いたいと請託し、併せて公務員試験の合格発表日の繰下げを陳情したのであり、原判決は、証拠の取捨選択及び評価を誤った結果、事実を誤認したものである。
(三) 当審の判断
(1) 関係証拠によると、次の事実が認められる。
江副らリクルート社の経営陣は、昭和五九年度の就職協定の行方に不安を感じ、江副の指揮の下、位田尚隆事業部担当専務取締役(以下「位田専務取締役」という。)、辰已雅朗社長室長(以下「辰已室長」という。)、阿部精吾事業部長(以下「阿部部長」という。)、赤羽良剛事業部次長(以下「赤羽次長」という。)、勝野善樹事業部付き課長(以下「勝野課長」という。)らで構成するプロジェクトチーム(同チームは、同時に就職情報誌一般に対する法規制問題に関連する職業安定法改正問題も取り扱っていた。)を結成して、就職協定に関連する情報の収集に努めていたが、公務員試験については、各省庁人事担当者の意向を受けた人事院が、その最終合格者の発表日を従前の一〇月一五日から一〇月一日に繰り上げる動きをしており、極秘の内に交渉に当たっていた森園課長と井上課長との間で、官庁側が民間の就職協定の趣旨を尊重して一〇月一日以前の各省庁の人事担当者による学生との接触を禁止する代わりに、日経連側が右繰上げを了承することで合意が成立しつつあることを知った。しかし、リクルート社では、新規学卒者向け就職情報誌の発行及び配本業務の関係では実際の就職活動の時期が遅くなればなるほど右事業展開の上では有利になるなどのことからも、公務員試験の合格発表日の繰上げの動きには賛成することができず、かえって、官庁の青田買い防止策として、政治家に働き掛けて、公務員試験の合格発表日を繰り下げさせるとともに、民間の就職協定の趣旨を尊重し一〇月一日以前の各省庁人事担当者による学生との接触を禁止させようということになり、昭和五九年三月ころの取締役会において、右依頼を官房長官である被告人に対して行うことが決定された。
(2) そこで、江副は、右取締役会の決定に従って、昭和五九年三月一五日ころの早朝、単独で公邸に被告人を訪ねた訳であるが、江副の検察官調書(乙書一四)は、「昭和五九年二〜三月頃に、パーティーか何かの会合で藤波先生と顔を合わせた際に、公務員の青田買いの問題を藤波先生に相談に乗ってもらおうとの考えが頭に浮かび、藤波先生に『ちょっと相談に乗っていただきたいことがあるんですが。』と言うと、藤波先生から『どうぞ結構ですよ。朝なら公邸にいますから連絡をしていらっしゃい。』と言われた。当時は就職協定が守られないことが社会問題となっており、リクルート社としても重大な関心を持って取り組んでいたので、官庁の役人の採用、任用の元締めで、各省庁間の調整機能を持っている官房長官にこの問題についてお願いし、相談してみようと考えたからだった。昭和五九年二月か三月の朝九時前後頃に車で公邸に一人で行き、公邸の応接室で二人だけで話をした。公邸に行ったのはこのときだけである。私は藤波先生に対し『公務員の青田買いの問題が就職協定が遵守されない大きな原因になっており、社会問題にもなっております。これを何とかする方法はないでしょうか。官尊民卑ということもありますし、官側にきちんとしてもらいたいのです。公務員の青田買いについて何とかなりませんかね。』と言って、公務員の青田買いについての善処方をお願いしたのです。また、私は、このとき、藤波先生に『公務員試験の合否の発表時期をもっと遅らせるというようなことについては可能なものでしょうか。どこにどのようにお願いしたらいいんでしょうか。』との相談もいたしました。これに対し、藤波先生は、就職協定等の問題については余り予備知識がなかったようで、『公務員試験とか発表とかいう問題は人事院ですかな。私は詳しいことは判らないが、官側だけが先に人を採るようなことは具合悪いですな。どこでどう決まっているのかというようなことを含めて調べてみますかな。官庁の青田買いの問題については考えておきましょう。』とおっしゃって、私の要望を受け止めてくれました。」というのであり、また、江副の検察官調書(乙書二五)は、「私が公邸を訪ねたのは昭和五九年三月であったというのは、私がさざ波会に入会して間もない頃だったという記憶があり、この時期に間違いないと思います。公邸で藤波先生にお会いしたのは、前回は午前九時ころと申し上げましたが、もっと早く午前八時すぎというのが正確だったと思います。公邸の洋風の応接間で、応接セットに向かい合う形で、藤波先生と二人だけで約一五分程度話をいたしました。私は、藤波先生と『古い建物ですね』とか『寒いですね』などとしばし雑談をした後、私は『今日お邪魔しましたのは、大学生の就職に関して文部省の通達とか中央雇用対策協議会の取り決めなどの就職協定がありますが、官庁は、それとはお構いなしに、早い時期に採否を決めるなどしており、この公務員の青田買いの問題が、民間の就職協定が遵守されない大きな原因になっており、社会問題にもなっていて、私共も非常に困っております。これを何とかする方法はないものでしょうか。官尊民卑という形にもなっておりますし、官側にきちんとしてもらいたいのです。公務員の青田買いについて、これを防止させるために何とかなりませんか。よろしくお願いします。』などと公務員の青田買いの防止について、官庁の元締めである藤波官房長官に何らかの方策をとっていただけないかについてお願いいたしました。藤波先生は、これに対して『考えておきましょう。』と言われました。私は、この機会に、藤波先生に対して公務員試験の発表時期の繰下げの問題についても相談をしておりますが、そのことについては前回お話ししたとおりです。」というのであり、さらに、江副の検察官調書(乙書三〇)は「五九年三月中旬ころと思いますが、私は公務員の青田買いを何とか防止して欲しいという気持ちから官庁側の元締めである藤波官房長官に会って、その善処方をお願いいたしました。確か、公邸を訪問して、藤波官房長官に対し、公務員の青田買いを防止するための善処方についてお願いしたのです。私のお願いに対して、藤波官房長官は『考えておきましょう。』などと言ってくれました。」というのである。
原判決は、江副の右各検察官調書につき、江副が公判で供述するように、検察官から、公務員試験を民間の就職協定と同じ日程とすることは、とりもなおさず公務員の青田買いの問題であると言われて、押し切られて、検察官調書が作成されたのではないかとの疑いを払拭することができず、これらの各検察官調書の内容をそのまま信用する訳にはいかない、とし、後記のような各事情が認められるほか、江副の官庁の青田買い防止についての陳情内容は、抽象的なものに終始しており、何ら具体的なものが含まれないことからすると、官庁の青田買い防止について、江副と被告人との間で話が出たことは間違いないが、それはあくまでも公務員の試験日程の繰下げ方策を相談する前提として、江副から話が出たものであって、それ以上に官庁の青田買い防止策に関する具体的な事項について請託する趣旨があったとするには、合理的な疑いが残る、とする。
しかしながら、関係証拠によると、江副は、身柄拘束中の取調べの際にも、その取調べの前後には弁護人とひんぱんに面接し、詳細に打合せ等をしていたことが認められ、関係者の検察官に対する供述内容等を含む種々の情報を把握するようにし、自己に不利益な事実に関しては、関係者の供述や客観的な資料が存在する場合にも、既に明らかになっている限度でのみ事実を供述する態度を堅持し、自己の供述を録取した書面についても、これを閲読し、その表現の細部にわたってまで詳細に検討して、意に添わない点については加除訂正を求めるという態度に終始していたことが認められるのであって、このような取調べ状況等を前提にして江副の供述の信用性を判断すべきであるところ、前記の公邸における江副と被告人の会話に関する供述内容は、江副と被告人だけしか知らない事項であり、検察官による誘導等の可能性が考えられない上、右問答の内容は当時の背景状況等を前提とするとよく理解することができ、内容的にも特に不自然、不合理な点は見当たらないことからしても、江副の前記各検察官調書の内容は十分信用し得るものと認められ、これに反する原判決の前記の判断は賛同することができないものというべきである。
そうすると、江副が被告人に依頼した内容は、公務員試験の合格発表日の繰下げと官庁の青田買い防止策の二つであり、被告人もこの二つを区別して理解していたことは明らかである。
なお、被告人は、昭和五四年一一月から労働大臣を務めた経験があるほか、長年にわたって文部行政に深い関心を有していたことから、就職協定に関する知識は相当あったものと認められる上、労働大臣在任中の昭和五五年一月一七日に開催されたリクルート新春シンポジウムでは「八〇年代の雇用問題を考える」と題して講演をしたり、同年六月五日開催のリクルート社創業二〇周年記念謝恩の集いにおいても、リクルート社が教育界と産業界をつないで果たしている役割には非常に大きなものがある旨の労働大臣としてのスピーチをしていること等を考慮すると、リクルート社の業務内容についても相当な知識があったことは明らかであるといわなければならず、江副もその検察官調書(乙書二五)で、「藤波先生は、かつて労働大臣をやっておられましたから、就職協定が存在していることや、それがどういうものであるかということについては判っておられたと思いますし、私共リクルート社がリクルートブックなど就職情報誌を出版しており、このことが就職協定と関連しているということは承知されていたと思います。」と述べており、これを裏付けている。
(3) 当時の人事院の責任者であった鹿児島局長は、昭和五九年三月二一日、松崎専務理事との間で、公務員試験の合格発表日を従前の一〇月一五日から一〇月一日に繰り上げることに合意したが、その会談前の一週間以内くらいの時期に、被告人から突然電話があり、「今度国家公務員の上級職の最終合格日を繰り上げることになったそうだが、どういう理由でしょうか。」と質問されたので、「民間では一〇月一日から面接が始まり、優秀な人材を先に内定されてしまって採用できなくなるため、各省庁から繰上げについて大変強い要望があるほか、学生の方でもその間どちらを応諾すべきかということで大変迷いを生じることになり、学生に迷惑がかかることもある。現在は日経連とも前向きに話が進んでいる。」と説明したところ、それ以上の質問はなかったが、その場のやりとりから判断して、日経連とは公務員試験の合格発表日の繰上げに関して合意ができつつあったものの、個々の企業には色々な意見があったので、どこかの企業、特に金融機関がこのような動きに反発して、被告人のところに陳情したのかと思った旨、原審三七回公判で証言している。これは、前記のとおり、公務員試験を所管する人事院に対して、被告人が公務員試験の合格発表日の繰上げについて問い合わせたものであり、江副の検察官調書の内容を一部裏付けているといえる。
(4) また、中村内閣参事官は、公務員試験の合格発表日の繰上げは従前から各省庁人事担当者からの強い要望事項であったところ、昭和五九年三月一六日夕方、森園課長から電話があり、「民間の就職協定に官庁側も協力するという交換条件で、日経連側と話が進んでいる。最終段階では人事課長会議で民間の就職協定に協力するという申合せをする必要があるので、そのときはよろしく。」と伝えられていたが、月曜日である同月一九日朝九時半ころ、国会内の内閣参事官室に出勤して上司である被告人を隣室の官房長官室に訪ねた際、被告人から、「公務員試験の繰上げについてはどうなっているのか。」と突然質問があったので、「人事課長会議では以前から要望してきたことであるが、本年は人事院の尽力により、日経連側とも話が進んでおり、実現の方向である。」と回答すると、被告人から、「この問題は色々反対もあるので、注意して進める必要がある。」と注意を受け、その週の半ばころ、森園課長から、「公務員試験の合格発表日を一〇月一日に繰り上げることで民間側と話がついたが、交換条件として、民間の就職協定に協力することになったので、次の人事課長会議で民間の就職協定に協力する旨の申合せをしてほしい。」と要望されたので、直ちにその旨を被告人に報告すると、被告人も了解してくれたので、同月二八日、人事課長会議において、「1 求人求職秩序の維持のため、いわゆる一〇―一一協定に協力する。2 このため、選考開始日は、一一月一日であるとの認識の下に一〇月一日前の学生のOB訪問及び一〇月一日以降の官庁訪問に対しても協定の趣旨にそった対応をするものとする。」旨の申合せを行った旨、原審第六八回、第六九回各公判で証言している。これも、江副の検察官調書の内容を一部裏付けている上、江副から依頼のあった官庁の青田買い防止策として人事課長会議の申合せを行うことを被告人が事前に了解していたことを明らかにしている。また、同証言は、同年四月下旬に通産省による青田買いの新聞報道があり、被告人にこれを報告すると、「十分注意するように。」と注意され、同年五月下旬には、今度は労働省による青田買いの新聞報道があり、これを被告人に報告すると、「困ったことだね。」と返答があったとも述べている。
(5) 井上課長は、人事院等の官庁関係者と公務員試験合格発表日の繰上げ問題について協議を重ねていた同年三月一五日午前に、公務員試験の合格発表日を一〇月一五日から一一月一日に繰り下げるとの内容の書類をリクルート社の関係者が大手民間企業の担当者に持ち歩いているとの情報を得て、直ちに位田専務取締役らリクルート関係者数名を新丸ビル地下の喫茶店に呼び出して注意を与えたところ、位田らは「二度としません。」と謝罪した。しかし、その後、松崎専務理事から、江副が当日来訪してきて、官房長官の被告人に陳情してきた内容として、現行公務員試験の二次試験実施日である八月一三日ないし一九日を一〇月一日以降に繰り下げるという考えを伝えていったという、いわゆる松崎メモを渡された。リクルート社では公務員試験の合格発表日の繰下げ案を官房長官にまで働き掛けているのかと不愉快になったが、公務員試験の採点等の関係から考えても、その案が現実的な案ではないことを松崎専務理事に十分に説明して、その了承を得たので、その問題は決着がついたと思っていた。ところが、同年三月一九日夕刻、文部省前の日土地ビル地下一階の居酒屋「都久福」で森園課長らと会った際、リクルート社の関係者が公務員試験の合格発表日の繰下げ案を官房長官の被告人にまで持ち込み、被告人から人事院の上層部に対してリクルート社案でやってくれとの申入れがあったと聞かされ、びっくりして、「これまでの案で大丈夫か。」と確かめると、「官庁側は一枚岩でまとまっているから大丈夫だ。」と聞かされたものの、同月二一日には松崎専務理事と鹿児島局長との会談が予定されていたので、直ちに松崎専務理事と面談して、予定どおりに公務員試験の合格発表日の繰上げの話を進めることに決めた。その後、位田専務取締役に電話をかけて、「リクルート社案を持ち歩かないと約束したのに、官房長官のところにまで持ち歩いているのはどうしてか。」と厳しく詰問したところ、当日夜突然位田専務取締役が部下二人とともに千葉市内の自宅までやってきて、土下座して謝罪して帰ったことがあった旨、原審第三三回、第三四回各公判及び当審第二回公判で証言している。右の井上課長の原審及び当審各公判証言は、リクルート社の取締役会の決定のとおりに、江副らリクルート社の関係者が被告人に対して強力な働き掛けを行っていたことを表しており、これまた江副の検察宮調書の内容の一部を裏付けているといえる。
(6) なお、鹿児島局長、井上課長の各原審公判証言には、公務員試験の合格発表日の繰下げ以外に、リクルート社が官庁の青田買い防止策を被告人に依頼したことをうかがわせるものが見当たらないが、公務員試験合格発表日の繰下げはそれ自体が非常にインパクトのある働き掛けであり、これが実現すれば事実上官庁の青田買いは不可能となる関係にあることから、関係者にその点についての強烈な記憶を残していたとも考えられること、また、江副が被告人に公邸で前記の依頼をした当時は、既に公務員試験の合格発表日を一〇月一日とする代わりに、官庁側も民間の就職協定の趣旨を尊重することで合意が成立しつつあったので、被告人が鹿児島局長や中村内閣参事官と会話する際に、単に公務員の試験日程を話すにとどめ、あえて官庁の青田買い問題にまで触れなかったことも十分考えられるのであり、いずれにしても、そのことが被告人に対し官庁の青田買い防止策についても依頼したとする江副の前記各検察官調書の信用性を左右するものとは考えられない。
(7) さらに、関係証拠によると、リクルート社では、通産省や労働省による青田買いの新聞報道がされると、取締役会等でこれを検討し、池田克哉衆議院議員にこの問題を国会で追及してもらい、これによって政府に実効性のある官庁の青田買い防止策を迫ろうということを決め、同年五月一一日ころ、位田専務取締役、辰已室長、赤羽次長らが、また、同月三〇日ころには、辰已室長及び赤羽次長がそれぞれ衆議院第一議員会館に池田議員を訪ね、就職協定や官庁の青田買い等の問題点を説明するとともに、通産省等が人事課長会議の申合せに違反して青田買いをしていることを話し、国会で追及して政府に申合せの遵守の徹底方を求めてほしい旨要請し、池田議員もこれを了承したこと、そこで、リクルート社では、関係者が質問案を起案し、江副自身もこの質問案に手を入れるなどした上、リクルート社としての質問案を作成、同年六月一五日ころ、池田議員に右質問案を関係資料とともに交付し、池田議員は、同月二〇日、衆議院文教委員会において、質問を行ったこと、しかし、右質問はなお不十分であったので、位田専務取締役、辰已室長らが池田議員に再質問を要請し、同年八月一日には辰已室長が池田議員にこの関係で金額一〇〇万円の小切手を交付し、あるいはリクルート社の関係者が池田議員やその秘書らを料亭等で繰り返し接待するなどしたこと、その結果、池田議員は、同月三日衆議院文教委員会において、改めて官庁の青田買い問題を追及する質問をし、これに対し、政府側から人事課長会議の申合せを遵守するように周知徹底する旨の答弁を引き出したことが認められる。このような事実が存在することからしても、リクルート社が、官庁の青田買い問題に強い関心を持ち続けていたことは明らかであり、江副が公邸を訪問した際に被告人に対して官庁の青田買い防止問題を全く持ち出さなかったなどということは、まことに不自然、不合理であって、到底考え難いことであるというべきであり、原判決はこのような事情を看過したものというほかはない。
(8) ちなみに、原判決が昭和五九年三月一五日に江副が被告人に官庁の青田買い防止策を依頼したことを疑う根拠として指摘する諸点は、以下のとおり、いずれもその理由がないというべきである。
① 原判決は、江副は被告人を公邸に訪問した当日松崎専務理事を訪問しているが、松崎メモの記載内容及び松崎専務理事の原審第三六回公判証言には、官庁の青田買い防止の問題について触れるところが全くなく、公務員試験日程の繰下げの話しか出なかったというのであるから、江副が被告人に対して官庁による公務員の青田買い防止の依頼をしたことには疑問がある、と指摘する。しかしながら、松崎メモは、そもそも江副の話のうち松崎専務理事が直ちに理解することができなかった事項を井上課長に問い合わせるために作成されたものであり、江副の松崎専務理事に対する報告の内容をすべて記載してあるというものではないこと、まして被告人との会見の内容の全貌を明らかにしたなどというものではないこと、江副は、松崎専務理事に対し、被告人から、公務員の試験日程の繰下げの件については、「しかるべきところから陳情等があれば考える。」との返答があったと報告しており、江副としては、日経連から政府に対してその旨の申入れをしてもらうべく、専ら公務員試験日程の繰下げに的を絞って、松崎専務理事に働き掛けをしたと考えられなくはないこと、日経連はもともと官庁の青田買いを問題にしていたのであるから、江副において、被告人に官庁の青田買いの防止策を依頼したことまでの報告をする必要はないと判断し、松崎専務理事にその報告をしなかったとしても、格別不自然ではないこと等からしても、原判決が指摘する点は理由がないというべきである。
② 原判決は、鹿児島局長の原審第三七回公判証言によると、被告人から官庁の青田買い防止問題に関連する質問等が全くなかったというのであり、そうすると江副と被告人との間において官庁の青田買い問題が出たというのは不自然である、と指摘する。しかしながら、鹿児島局長は、官庁の青田買い防止について所管するものでないばかりでなく、前記(6)に記載したような理由で被告人がこれに触れなかったとしても、特に不自然、不合理であるとは考えられず、原判決のこの点の指摘も前提に誤りがあるというべきである。
③ 原判決は、中村内閣参事官は、被告人に対して事前に人事課長会議の申合せをすることについて報告し、その了解を得たが、それ以外には被告人から官庁の青田買い防止の具体策の指示を受けなかったというのであるから、江副から被告人に官庁の青田買い防止策についての依頼があったというのは不自然である、と指摘する。しかしながら、人事課長会議の申合せはこの年に初めて行われるものであり、しかも、その結果、官庁側が初めて実質的に就職協定に組み込まれるものであるのであるから、右申合せ自体が画期的なものとして評価されていたのであり、このような当時の情勢からすると、被告人が中村内閣参事官に対しそれ以上の具体的措置を求めなかったとしても、格別不自然であるとは認められず、原判決は右申合せの意義の評価を誤るものであり、原判決のこの点の指摘も賛同することはできない。
④ 原判決は、リクルート社の社内文書には、人事課長会議での申合せがリクルート社関係者の働き掛けの成果であるなどとする文書は見当たらないことからしても、江副が被告人に対し官庁の青田買い防止策について依頼したことには疑問がある、と指摘する。しかしながら、リクルート社では、捜査当時から、商法二六〇条の四により作成及び備付けが義務付けられている取締役会議事録さえほとんど存在していなかったことが認められ、リクルート社に不利益になると考えられるような証拠は杜内に残さないように意図して行動していた節も認められることからすると、原判決が指摘するような文書が存在しないことが、そのような事実が存在しなかったということを証明するものでないことは明らかであり、原判決のこの点の指摘はその前提自体に誤りがあるというほかはない。
⑤ 原判決は、人事院と日経連との話合いで、公務員試験の合格発表日の繰上げと引換えに、官庁の青田買い防止について合意が成立しつつあったのであるから、江副が被告人に官庁の青田買い防止策の依頼をするまでの必要性はなかった、と指摘する。しかしながら、先に詳しく認定、説示したとおりのリクルート社と就職協定との関係、すなわち、リクルート社ではその事業の展開にとって民間の就職協定の存続、遵守は欠くことのできない必須の関心事であったこと、民間の就職協定では、しばしば協定違反の青田買いが繰り返され、就職協定が有名無実であるといった事態も招来されていたこと、そして、その原因の一つとして、官庁による青田買いの事実が強く指摘されていたこと等が前示のとおりであることからしても、単に、人事院と日経連との話合いで、公務員試験の合格発表日の繰上げと引換えに、官庁の青田買い防止について合意が成立しつつあったということから、直ちに、江副らリクルート社の関係者が被告人に官庁の青田買い防止策の依頼をするまでの必要性はなかった、などというものでないことは明らかであること、また、公務員試験の合格発表日の繰上げとの交換条件として、官庁の青田買い防止の申合せがされようとしていたのであるから、仮にリクルート社がもくろんだとおりに、公務員試験合格発表日の繰上げの話が御破算となれば官庁の青田買い防止の申合せの話も御破算となる可能性もあり、そうなれば依然として官庁の青田買いの問題が未解決のまま残されることにもなるから、民間の就職協定の存続、遵守の関係でも、官庁の青田買い防止の具体策を考える必要性があることは明らかであり、原判決はこのような事実関係を正当に把握していないものというべきであり、前提事実を誤認した誤った指摘であるというべきである。
⑥ 原判決は、前示のとおり、江副の各検察官調書の官庁の青田買い防止に関する被告人への依頼の内容には、具体性がなく、抽象的なものであり、各検察官調書はそのとおりに信用することができない、とする。しかしながら、江副の検察官調書の作成の経緯は、前示のとおり、やや特異なものであったことが認められ、その供述内容に具体性がないとか、抽象的にすぎるということから、その信用性を否定することはできないというべきであり、原判決は証拠の評価を誤るものというほかはない。
(9) したがって、所論が指摘するとおり、江副が被告人に対して官庁の青田買い防止についての依頼をしたことは動かし難い事実であると認められ、これを否定した原判決は事実を誤認したものであるというべきである。
3 昭和五九年三月二四日のいわゆるフォローアップ訪問の有無について
(一) 原判決の認定の要旨
位田専務取締役は、リクルート社の阿部部長、小野敏廣社長室秘書課長兼文書課長(以下「小野課長」という。)とともに、昭和五九年三月二四日、被告人を国会内の官房長官室に訪問したが、その際位田専務取締役らが江副の請託に対する被告人の対応を確認したことについては、証明が不十分である。
(二) 控訴の趣意
位田専務取締役は、江副の指示を受けて、昭和五九年三月二四日、被告人を国会内の官房長官室に訪問して、江副による請託に対する被告人の対応を確認したところ、被告人から公務員試験日程の繰下げについては困難であるが、官庁の青田買い防止については適切な対処ができる旨の回答を得たのであるから、これと異なる原判決の事実認定は、証拠の取捨選択及び評価を誤った結果、事実を誤認したものである。
(三) 当審の判断
(1) 位田専務取締役の検察官調書(甲書一三四)の記載は、以下のとおりである。
「検察官から、議員会館の藤波孝生代議士の面会証に私の名前と、ほか二名という記載のあるものが見つかり、その日付と時間は、昭和五九年三月二四日午後零時三五分となっていることを告げられました。私の名前を使うものはいないと思われることから私がリクルートの者二人を連れて藤波先生にお会いしたと思うのです。その当時藤波先生の秘書の方など藤波先生御本人以外にお目にかかる用事はありませんでした。また、藤波先生に、その当時お会いする理由といえば、先生のお力で各省庁が青田買いに出ないよう各省庁の担当者に指示を出していただくことと、公務員試験の実施日をずらすことのお願いをしておいた件について、その結果をお聞きしたり再度お願いすることしかなかったのです。藤波先生へのこの二つのお願いについては江副若しくはその直轄下にある社長室がお願いしていたと思っております。ですから、私が藤波先生にお会いするようになったのは、たぶん江副から『青田買いの件と公務員試験の件のその後がどうなったかフォローして下さい』というような指示を受けたためだったと思うのです。私ほか二名となっているとのことですので、その二名が誰であったかを思い出しているのですが、辰已若しくは田中取締役、赤羽のうちの誰かが入っていると思うのです。この三人のうちの一人がいたと思われ、後一人は、この三人の中の誰かか、事業部の者だと思うのです。行った時間がお昼ということですので、アポイントなしで行く時間でも、会える方でもありませんので必ずアポイントを取っている筈です。執務をしておられる首相官邸ではなく、お昼に議員会館の方に来てほしいと言われて、このような議員会館で、しかもお昼どきにお会いすることになったと思うのです。江副にいわれたとおり青田買いの件と公務員試験の日程をずらす件について、藤波先生にお伺いしたところ、青田買いの件については私どもが希望するとおりの御返事で、公務員試験の日程をずらす件については難しそうだとの御返事であったと思うのです。この結果については、勿論、江副に報告していると思います。」
後述するとおり、位田専務取締役に同行した者は、衆議院第二議員会館の藤波事務所に残されていた名刺から、リクルート社の阿部部長と小野課長であることが明らかである上、被告人との面談場所は国会内の官房長官室であることが被告人の私設秘書の松木謙公の原審第一四一回公判証言等により明らかであるところ、位田専務取締役の前記検察官調書がこれらの点で客観的事実と食い違いのあることは明白であり、また、供述内容自体も甚だあいまいかつ漠然としており、随所に推測、想像を交えており、更に供述内容にも具体性が甚だ乏しいことは、原判決が指摘するとおりである。原判決は、このような諸点を考慮して、位田専務取締役の前記検察官調書を信用性に乏しいと判断したのであるが、この結論には賛同することができない。
すなわち、関係証拠によると、位田専務取締役は、取調べに際して、江副らに不利益な供述を避ける姿勢に終始していたのであり、供述調書の記載内容を検討しても、「思う」という言葉をできるだけ付加することにより、供述内容を殊更あいまいな表現にしようと意図していたと思われること、本件面談の際には、後述するように、議員会館から国会内へ通じるトンネルを経て国会内の官房長官室に案内されるという一般人としては得難い経験をしたにもかかわらず、検察官に対してはそのような事実を全く供述しなかったばかりか、原審第三九回ないし第四五回各公判及び当審第四回公判の各証言の際にも、本件フォローアップ訪問に関しては一切記憶にないと供述することに終始しており、およそ証人に要求されるまじめな供述態度とはかけ離れた態度であり、本件当時のリクルート社の事業部担当の最高責任者として本件面談の事実及びその面談内容については詳細かつ具体的な記憶があって当然であるはずであるのに、質問が中核的部分や重要部分に関連するものに及ぶと、覚えがないとか、殊更あいまいかつ漠然とした供述を繰り返しており、真実の供述を避ける傾向が甚だ顕著であるというべきであり、真し、誠実な供述態度に欠けること甚だしく、このような不まじめな供述態度に照らせば、位田専務取締役の前記検察官調書は、動かし難い証拠を突き付けられて、やむなく認める態度に出たものと考えるのが相当であり、一部に虚偽供述が混入されているとか、供述内容に具体性が乏しいなどといって、その供述内容の全部が一方的に信用できないというのは誤りであり、他の証拠により裏付けられたり、支えられている限度では優に信用することができるものというべきであって、原判決のこの点の判断は証拠の評価を誤ったものというべきである。
(2) また、本件フォローアップ訪問に関しては、当審において、阿部部長の平成元年五月二〇日付け検察官調書が刑訴法三二一条一項二号該当の証拠として提出されたが、その内容は次のとおりである。
「藤波孝生代議士の事務所から私の名刺が見つかったということを検事から聞かされましたが、それは私が位田尚隆取締役、小野敏廣社長室課長と一緒に藤波先生の議員会館に伺い、藤波先生に公務員試験の繰下げと官庁による公務員採用活動の自粛をお願いした時に藤波先生に私の名刺を渡しておりますので、私の名刺が藤波事務所から見つかったとしか考えられません。既に申し上げておりますようにリクルートとしては就職協定が遵守されるようにするため、公務員試験の繰下げと一〇月一日以前における官庁の公務員採用活動の自粛を藤波官房長官に働きかけることを決めておりました。政治家マターを担当する社長室あたりが既に藤波官房長官に働きかけているのだと思ってました。私がこの公務員試験日程の繰下げと公務員採用活動の自粛を藤波先生にお願いに上がることになったのは、私の上司である位田からこの件で藤波先生の所に行こうと言われたからだと記憶しております。このように言われたのは五九年三月下旬頃のことです。私と位田の他に小野も一緒に藤波先生の所に伺っておるのですが、政治家マターは社長室ですから、そういうことで小野も一緒に来ることになったと理解しております。当時の記憶ではリクルート側では公務員試験日程の繰下げや一〇月一日以前の採用活動の自粛を藤波先生にお願いしておりましたので、私達がその件がその後どのようになったのか藤波先生にお話を伺うとともに、リクルート社側の意向を藤波先生にお願いすることになりました。私達三人が藤波先生と議員会館で会ったのはお昼ころであったと思います。藤波先生にこの公務員試験日程の繰下げと公務員採用活動の自粛の話を直接したのは位田でした。位田さんは公務員試験の日程を民間並みにずらす件についてはどのようになったでしょうかという趣旨の話をしたところ、藤波先生はその件についてはむずかしそうだというような感じの話をされたように思います。また、位田は藤波先生に公務員採用活動を一〇月一日以前に行わないように各省庁に守っていただけるようお願いしたいという趣旨のお願いをしておりました。この各省庁の青田買い自粛の件については藤波先生は『承知しました』というような言葉で私達の頼みに理解を示してくれておりました。検事の話ですと、この私の名刺の裏に五九年三月二四日の日付けの記載があるということですし、議員会館の藤波先生の面会票に五九年三月二四日位田他三名が面会を申込んだ内容のものがあるということですので、私、位田、小野の三人が藤波先生に面会したのは五九年三月二四日に間違いないことです。」
阿部部長は、当審第二回、第三回各公判で証言した際、名刺等を示されて位田専務取締役や小野課長が供述していると誘導されて右供述に至ったものであり、証言時には具体的な記憶はなかったと弁解するのであるが、他方では内容的には嘘を言った記憶はないとも供述している上、関係証拠と対比しても、内容的には特段不自然、不合理な点も見当たらず、大筋において位田専務取締役の前記供述とも合致していること等を考慮すると、前記検察官調書の中核的部分は十分に信用することができるものと認められる。
(3) 昭和五九年三月の江副の請託の有無の項で判断したように、江副は、被告人に対して、公務員試験日程の繰下げの件と官庁の青田買い防止の件の二点を被告人に依頼したと認められるところ、被告人からは、「公務員試験の点は調べてみる。官庁の青田買いの点は考えておく。」との回答を得たというのであるから、この問題に深い関心を有していた江副が被告人からの回答を心待ちにしていたことは明らかであるというべきであり、位田専務取締役らを被告人のもとに派遣してその回答を得ようとしたことは当然の成り行きであって、当時の客観的状況ともよく符合しており、そのような用件で被告人と面会した旨の前記の位田専務取締役、阿部部長の各検察官調書の内容自体に疑問とすべき点は見いだすことはできない。
(4) また、当審で取り調べた藤波内閣官房長官日程(一)の昭和五九年三月二四日の日程をみると、被告人は、一四時から一〇分間の予定で内閣総理大臣官邸内において「井田直隆他一名(リクルート)」と面談が予定されていたというのであり、国会開会中という多忙極まりない中で、官房長官という要職にあった被告人が、事前に時間を予定して位田専務取締役らリクルート社関係者と面談する手はずとなっていたことが認められる。しかも、右日程によると、被告人は、同日は一四時四〇分から参議院予算委員会の集中審議に出席の予定であったが、結果的には、一二時五〇分から開会された右委員会に出席するため、その前に国会に出掛けることとなり、国会審議が休憩となっている昼休みのわずかな間を利用して、急きょ位田専務取締役らリクルート社関係者と面談していることが認められる。そうすると、位田専務取締役らの被告人との面談は相当に時間的に切迫していた用件で行われたものと考えるのが自然であって、後述するように、当時多額の献金を申し出るようになったリクルート社関係者のために多忙な中で面談時間を割いたものと思われ、当時のリクルート社の置かれた状況等を考慮すると、単なるパーティー出席の謝礼のために位田専務取締役ら三名が被告人と面談したなどとは思われず、位田専務取締役及び阿部部長の前記各検察官調書にあるように、江副の前記の依頼に対する被告人の回答を聞くために、国会内の官房長官室を訪れたものと考えるのが自然である。
(5) ちなみに、原判決が昭和五九年三月二四日の位田専務取締役らによる被告人に対するいわゆるフォローアップ訪問を否定する根拠として指摘する諸点は、以下のとおり、いずれもその理由がないというべきである。
① 原判決は、位田の検察官調書(甲書一三四)が信用できない、と指摘するが、前述したとおり、右検察官調書が信用できないとする論拠がいずれも理由に欠けるものであり、むしろ大綱において優に信用することができるものと認められるから、原判決は証拠の評価を誤っているというほかはない。
② 原判決は、本件訪問は、リクルート社の社名変更パーティーに出席してくれた被告人に対してお礼を述べるために行ったものであるという小野課長の原審公判供述の信用性を否定することができない、と指摘する。
小野課長は、原審第一二二回ないし第一二六回各公判及び当審第四回公判において、次のように供述している。
昭和五九年三月二一日午後五時三〇分から午後七時までの間、ホテルニューオータニ鶴の間において、約一七〇〇名を招待して、リクルート社の社名変更に伴う謝恩の集いが開かれたが、大澤武志専務取締役から、「藤波先生が右パーティーに急きょ出席されたので、挨拶に行くように。」との指示を受けたので、位田専務取締役、阿部部長とともに国会内の官房長官室に右パーティー出席のお礼をいうために出掛けただけにすぎず、いわゆるフォローアップ訪問をしたわけではない。
しかしながら、以下の理由からしても、この供述が全く信用することができないものであることは明らかである。
一つは、当日の被告人の日程である。すなわち、前記官房長官日程及び本件当時官房長官付きの秘書専門官であった佐藤隆の当審第一回公判、同じく本件当時官房長官の事務取扱秘書官であった佐藤謙の当審第三回公判での各証言等によると、被告人は、昭和五九年三月二一日は、一〇時から出席する参議院予算委員会の総括質問が少なくとも一七時三〇分ころまで予定されていた上、一八時三〇分から一九時までは内閣総理大臣官邸大食堂において開催される「総理訪中結団式」に出席することが予定されており、一九時からは港区赤坂の料亭「佳境亭」において毎日新聞記者の井上義久外一名と会合が予定されており、当初から被告人がリクルートの右パーティーに出席することは難しいとされており、そのために、時間的に余裕があれば出席するが、実際には出席が困難と思われる日程に関しては前記官房長官日程には括弧書きで記載されることとされていたところ、前記官房長官日程では、一八時から二〇時三〇分まで予定されていた京王プラザホテルのエミネンスホールにおける「根っこ運動三〇周年の加藤日出男を励ます集い」とともに、リクルートの前記謝恩の集いが括弧書きで記載されていたことである。
そして、当日の現実の日程を検討しても、被告人が右パーティーに出席することは事実上不可能であったと思われる。すなわち、当日の参議院予算委員会会議録等によると、同委員会は、午前一〇時二分に開会されて午前一一時五六分に休憩となり、午後一時一分に開会されて午後六時一三分に散会となっており、その間、被告人は、昼休みの間及び一六時からの国会内での記者会見の時間を除いては、終始同委員会に出席していたことが認められる。さらに、関係証拠によると、当日の午後六時三五分ころから、内閣総理大臣官邸大食堂において、「総理中国訪問結団式」が行われ、被告人もこれに出席して歓送の辞を述べた後、予定どおりに前記料亭に赴いて前記井上義久らと面談したことが認められる。そうすると、現実には被告人がリクルート社の前記パーティーに出席することはできなかったものと認められ、現に前記の加藤日出男を励ます集いには被告人自身が出席していなかったことが証拠上明らかである。
二つは、被告人が右パーティーに出席したことをうかがわせる証拠が全く見当たらないことである。小野課長は、自身は被告人が右パーティーに出席したところを現認してはいないが、大澤専務取締役から被告人が右パーティーに出席していたと聞かされたと供述するのである。しかし、大澤専務取締役は当審第五回公判証言で、その点に関しては具体的な記憶が全くないと供述していること、当審で取り調べた週刊リクルート第一〇六六号によると、右パーティーへの主要出席者一〇名として、「文部大臣森喜朗、労働大臣坂本三十次、三井銀行取締役社長草場敏郎、住友銀行会長磯田一郎、三和銀行会長赤司俊雄、大日本印刷株式会社社長北島義敏、三井不動産会長江戸英雄、ウシオ電機株式会社会長牛尾治朗、ライオン株式会社取締役会長小林宏、京セラ株式会社社長稲盛和夫」が挙げられているが、出席していれば当然記載されたと思われる被告人の記載が見当たらないこと、被告人自身も右パーティーに出席した具体的な記憶はないと述べていること等は、被告人の右パーティーへの出席を否定する有力な情況証拠であると考えられる。しかも、小野課長は、検察官から取調べを受けて本件の被告人訪問の用件を質問された際には、訪問の目的や被告人との会話の内容は覚えていないと一貫して供述していたのであり、検察官から、「位田たちが官庁の青田買いの自粛や公務員試験の繰下げなどについて藤波にお願いしていないか。」と追及されると、「記憶にない。」と述べ、検察官がその旨調書化しようとすると、「私を追い詰めることになるような検事の発問には承服し難い。」と述べて署名指印を拒否したというのであるが(山本修三検事の原審第一三一回公判証言)、小野課長の公判供述が事実であるとすれば、検察官の取調べに対しても単にパーティー出席へのお礼のための訪問であると述べれば済むことであり、およそ検察官に対して隠さなければならないような事情があるとは考えられないこと等に照らすと、小野課長の公判供述の信用性は甚だ疑問であり、これが信用性に欠けるとはいえないとした原判決は明らかに証拠の評価を誤ったものというべきである。
③ 原判決は、国会内の官房長官室は請託の結果を確認する場所としては適当ではないと、指摘する。
中村内閣参事官の原審第六八回及び第六九回各公判証言によると、国会内の官房長官室と内閣参事官室とは隣り合っており、その間のドアは通常は開け放されており、出入りが自由にできる状態にあり、また、官房長官室は秘書官室とも隣り合っており、内閣参事官室にいると、秘書官室から官房長官室に入る者が分かる状態にあるというのであり、また、被告人の原審第一四六回公判供述によると、秘書官室には常に新聞記者が待機しているというのである。確かに、このような状態下では、込み入った秘密の話をするのには適切ではないとも思われるが、本件フォローアップ訪問の目的は、江副が依頼した公務員試験日程の繰下げ及び官庁の青田買い防止問題に対する被告人の回答を得るにすぎないのであり、ごく短時間のうちに済まされる用事でもあり、「江副の請託の結果を確認する場所としてはふさわしくない」とまでいえるかは疑問である。したがって、この点においても、原判決の指摘には賛同することができないというべきである。
④ 原判決は、江副が位田専務取締役らに命じてフォローアップ訪問をさせたことはない旨供述し、また、リクルート社の社内文書にはフォローアップ訪問の記載が見当たらない、と指摘する。
江副は、検察官調書(乙書五四)において、「私は、昭和五九年三月中旬頃に藤波官房長官を公邸に訪ね、藤波先生に対し、公務員の青田買いの防止等の問題について陳情しておりますが、これをフォローする為に、位田らにその陳情の結果を聞きに行かせたのではないかとお尋ねですが、私としてはその記憶がないのです。もし、私が行った陳情の結果を知りたければ、私が直接藤波先生に電話をかけて聞けばいい訳で、わざわざ位田らをさし向ける必要はなかった訳です。」と述べ、フォローアップ訪問を否定している。しかしながら、江副の検察官調書によると、前述のとおり、江副の依頼に対して、被告人は公務員試験日程の件は調査してみるし、官庁の青田買い問題については考えておくと回答したというのであるから、その結果がどうなったかを確かめるのは当然であると思われるところ、江副の供述によると、その点に関して、被告人からは連絡もなかったし、江副から連絡を取ることもなかったというのである。そうすると、リクルート社の取締役会で決定したとおりに、被告人に働き掛けながら、その成否が不明のままに放置していたことになり、かえって、不自然、不合理な行動というべきであり、江副の請託に対する返事を聞くために位田専務取締役らを被告人のもとに派遣したということこそごく自然な行動であるというべきであり、右の点に関する検察官調書の記載は信用することができないというほかはない。
また、リクルート社の社内文書にフォローアップ訪問の記載がないという点については、前述のとおり、リクルート社の社内文書の保管状態には納得することができない疑問点が数多く認められ、存在しているはずの文書が存在していないとか、記載があるべき文書が存在しないからといって、それが当該事項の不存在を意味するものとは認められないから、この点も前記フォローアップ訪問を否定する材料とはならないものというべきであり、この点の原判決の証拠の評価には誤りがあるというほかはない。
(6) したがって、所論が指摘するとおり、いわゆるフォローアップ訪問の事実の証明は十分であるというべきであり、この点の証明が不十分であるとした原判決は事実を誤認したものであるというべきである。
4 昭和六〇年三月の請託の有無について
(一) 原判決の認定の要旨
昭和六〇年三月上旬、江副の指示により、リクルート社の田中壽夫専務取締役(以下「田中専務取締役」という。)及び辰已室長が被告人を公邸に訪問した事実が認められる。しかし、その際の陳情内容は、臨時教育審議会(以下「臨教審」という。)で青田買い問題を取り上げてもらうことにその重点があったのであり、官庁の青田買いの問題を取り上げてもらうことは、右陳情の前提としてか、あるいは、それに付随して話が出たものと推認される。したがって、官庁の青田買い防止の善処方を請託したことについては、合理的な疑問が残る。
(二) 控訴の趣意
田中専務取締役及び辰已室長は、昭和六〇年三月上旬、江副の指示のもとに、被告人を公邸に訪問して、人事課長会議で国の行政機関の青田買い防止を徹底するなど、国の行政機関が就職協定の趣旨に沿った適切な対応をするように尽力願いたい旨請託し、これと併せて企業の青田買い防止を臨教審において取り上げてもらうことを陳情したのであるから、これと異なる原判決の事実認定は、証拠の取捨選択及び評価を誤った結果、事実を誤認したものである。
(三) 当審の判断
(1) 関係証拠によると、昭和五九年度の就職協定は、折からの好況も手伝って、一層形骸化が進み、同年一一月に開催された就職問題懇談会では過去三年間で最も就職協定が遵守されなかった年であると総括されるありさまであり、そのころ日経連が企業を対象として行った調査によると、就職協定が遵守されなかったと思う企業が約九割、就職協定を存続させるのに賛成の企業が約九割という結果が出た上、昭和六〇年一月二一日に開催された中雇対協では、昭和六〇年度の就職協定に関して、「一〇―一一協定」の決議が行われ、そのころ開催された就職問題懇談会でも同様の趣旨の了承がされたものの、中雇対協決議後に行われた記者会見において、座長である松崎専務理事からは、「私は本件について完全に熱意を失っております。「一〇―一一協定」が守られなかったと思われる方が全体の九割、しかも昭和六一年三月卒業の諸君についても「一〇―一一協定を続けろとおっしゃる方が全体の九割。このように矛盾した結論の出てきた最大の理由は、「一〇―一一協定」をやめたら、より一層混乱するからというにあるようです。一〇―一一の紳士協定をしておきながら、それらを守らず、二か月、三か月前に就職内定のことがいわれるのは普通の混乱であり、それが四か月、五か月前に行われるのはより一層の混乱である、という認識には同調しかねます。しかし、日経連も商工会議所も中小企業団体中央会も、傘下企業にサービスすることを目的としています。傘下企業の九割が「一〇―一一協定」を作れといわれれば、サービス団体としてノウとはいえません。」との発言があり、リクルート社においては、就職協定が今後は廃止の方向に向かうのではないかと強い危機感を抱くようになり、昭和六〇年一月二三日のリクルート社の取締役会において、就職協定問題には決め手がなく、今後は江副や位田専務取締役が当時の松永光文部大臣に働き掛けることが決まったほか、折から設置されていた臨教審で就職協定の問題や青田買いの問題を取り上げてもらい、臨教審答申の中に青田買い防止等の関連で就職協定問題を盛り込んでもらい、それをてこにして就職協定の存続、遵守を図るべきであるとの考えが江副から提案され、これも了承され、臨教審関係者に働き掛けることが決まった。なお、リクルート社においては、昭和五九年三月二八日の人事課長会議による官庁の青田買い自粛の申合せについては、一年限りの効力しかないものという認識が大勢であった。
臨教審は、中曽根内閣における教育革新を進めるため、内閣総理大臣の諮問に応じて改革案を調査、審議する目的で、臨時教育審議会設置法に基づいて総理府に設置され、昭和五九年八月二一日発足したものであり、同年九月五日に開催された第一回総会において、「我が国における社会の変化及び文化の発展に対応する教育の実現を期して各般にわたる施策に関し必要な改革を図るための基本的方策について」内閣総理大臣から諮問がなされ、第一部会は「二十一世紀を展望した教育の在り方」、第二部会は「社会の教育諸機能の活性化」、第三部会は「初等中等教育の改革」、第四部会は「高等教育の改革」を主として審議したが、江副は、第二部会では「学歴社会について」、第四部会では「学歴と雇用について」と題して、それぞれ意見を述べる機会を与えられ、産業界内部には学歴社会の問題は少なくなってきているが、学生の就職活動の際には有名校重視の青田買いが横行する等の問題が残っている等の意見を述べた。そして、昭和六〇年六月二六日の第一次答申においては、「学歴社会の弊害是正のために」「有名校の重視につながる就職協定違反の採用(青田買い)を改め、指定校制を廃止するなど就職の機会均等を確保するとともに、特定の学校に偏らない、多様な学校からの採用」を行うべきであるとの一文を含む答申が行われた。
以上の諸事実を認めることができる。
(2) 田中専務取締役の検察官調書(甲書一三一)の要旨は、以下のとおりである。
「昭和六〇年三月ころ、江副から私と辰已が藤波先生への陳情を指示されたと思うのです。私と辰已が江副の執務している社長室に呼ばれました。応接セットに私と辰已が座りますと、江副は『昨年は私がお願いしてきたのですが、今年も官庁の青田買いについては、藤波先生にお願いしたいと思いますので、行ってきてくれませんか。臨教審で青田買いを取り上げてもらうことができないかどうかもお願いしてきてくれませんか。』という意味のことを言ったのでした。江副からこのような指示を受けて、藤波先生に各省庁の青田買いを自粛するようにお願いすることは昨年と同じでありますから簡単にお話ができると思いましたが、臨教審で青田買いを取り上げていただくことについての話の持ち出し方については藤波先生が文部省の政務次官を歴任されて文教族の一人といわれ、その方面の造詣も深いと思われたことから大変だと思いました。江副が、このような藤波先生への陳情を私に指示したのは、一つには、私が事業部担当の役員をしていた当時にセミナーや取締役会に来ていただいてお話をしていただいた際に、私がアテンドとして藤波先生と比較的顔見知りであること、二つ目は、このような難しい場面には、私が適任だと信用していただいたためだと思いました。江副から指示されたことを果たさなければならず、臨教審の関係での説明方法をいろいろ考えて悩んだのを覚えています。私と辰已が江副の指示のあと間もなくのころに二人で藤波先生にお会いしました。お会いした場所については、議員会館でだったような気もしますが、あるいは官房長官の公邸であったかも知れません。青田買いの関係については、『就職協定が守られず就職秩序が混乱しています。産業界から官庁の青田買いが混乱の種と言われています。私どもが申し上げることではないかもしれませんが昨年と同じようにお願いします。』という意味のことを言ったように思います。藤波先生は黙って聞いておられ、うなずいておられました。臨教審の関係については、青田買いの問題などをどのようにドッキングさせるのがよいのかということについての考えが今ひとつまとまりませんでしたし、いざ話そうとしたときには緊張してしまい、考えていたことの一〇分の一も話せませんでした。私が話したことは『臨教審では学歴社会の是正についても御検討いただいているとうけたまわっております。先生に申し上げるのも憚れるのですが、企業が大学生を採用する際に有名大学に在学しているということだけで、採用する指定校制度をとったり、大学での本人の学業成績を資料にしないで青田買いに出ることが、大学教育に影を落とし、国民の教育観をゆがめているように思います。このような観点から青田買いの問題などを臨教審でお取り上げいただければと思います。』というものでした。藤波先生は、このような私の話をじっと聞いて下さり、うなずいておられたのでした。同席していた辰已は、余り話さなかったように思います。何か資料のようなものを持参したかどうかについてはよく覚えておりません。時間にしてせいぜい一〇分程度であったと思うのです。大役が終わってホッとしたのを覚えています。リクルートに帰ってから行ってまいりましたという程度の報告を江副にしたと思います。」
田中専務取締役についても、位田専務取締役ら他のリクルート関係者と同様に、江副らに不利益な供述を回避しようとする傾向が顕著であり、取調べの前後には弁護士と打合せ等を行ったりしていたこと、供述調書に関してもその詳細を慎重に吟味の上、関係者等により明らかとなっている限度でしか調書化させようとはしなかったこと、しかし、反面では、その供述内容が当時のリクルートの置かれた客観的状況等によく符合している上、右供述内容は、検察官が誘導できるようなものではなく、田中専務取締役が供述しない限りは判明しない事項が随所に記載されており、また、官庁の青田買い防止策の話についてはスムーズに話すことができたが、臨教審答申への青田買い問題の盛込みに関しては、どのように被告人に話すべきか悩んだなどと、具体的にそのときの体験等を語っており、田中専務取締役の検察官調書の信用性を否定するには相当の理由が必要であるというべきである。しかしながら、記録を検討してみても、田中専務取締役の右供述の信用性を否定すべき事情は特段うかがうことができず、結局はこれが信用することができる供述というほかはない。
そうすると、辰已室長と同行した田中専務取締役が江副の指示を受けて被告人に依頼した内容は、官庁の青田買いの防止策と臨教審答申への青田買い問題の盛込みの二つであり、既述のとおりの被告人の経歴等も加味すると、被告人もこの二つを内容的にも区別して理解していたことは明らかである。
(3) 辰已室長の検察官調書(甲書一二四)の要旨は、以下のとおりである。
「昭和六〇年三月初旬頃であったと記憶していますが、私と田中は江副から社長室に呼ばれました。私と田中が社長室に行きますと江副は私と田中に『どうぞ』と言って社長室の応接セットのソファに座るように命じました。江副は普段部下を呼びつけて何か指示をする場合、部下を立たせたまま指示をすることが多いのですが、この日は江副が私と田中に応接セットのソファに座るように命じましたので、江副が私達に何か大事な用があるのだと思いました。私と田中が応接セットのソファに座りますと、江副も私達に向かい合うようにして応接セットのソファに座り、私と田中に『昨年は私がお願いに行っているが、藤波先生に会って藤波先生の力添えで昨年同様官庁の青田買いを防止していただけないかということでお願いに行ってくれないか』とか『この前の取締役会で決まったように臨教審の答申の中に青田買いのことを盛り込んでいただければありがたいとお願いしてくれないか』などと言いました。江副が私と田中とで藤波さんの所に先程のようなお願いをして来いと指示した理由ですが、田中が元事業部担当の取締役をしており、私が事業部長として田中の下で働いていたことがあり、以前は田中―辰已ラインで動いていたことがあり、藤波さんが労働大臣時代、田中と私が労働問題に関する講演を藤波さんに依頼をしに行ったことがありますので、そのようなことを知っていた江副は藤波さんにお願いをするには適任であろうと考えたのだと思います。田中は元事業部担当の取締役をしていた関係もあって就職協定のことについて詳しい上、田中は周りの人からリクルートの外務大臣と呼ばれるなど政治的折衝力にたけている人であったので、江副は藤波さんの所に先程のようなお願いをしに行く人物として私の他田中を選んだのだと思います。私と田中は江副から以上のような指示を受けていましたので、藤波さんの所にお願いに上がることにしたのですが、田中から『藤波先生にお願いする時に使うので簡単な資料を作ってくれないか』などと言われましたので、先程申し上げたように昭和五九年四月下旬及び五月下旬の通産省や労働省の青田買いをしたとの新聞記事の切り抜きをコピーしたものをそろえたり、公務員試験の日程や現在の就職協定の期日等の資料を作ったのです。私は江副から先程のような指示を受けた後、確か議員会館の藤波さんの事務所に電話をして、電話口に出た人に『リクルートの社長室長の辰已と申しますが藤波先生にお会いしてお願いしたことがあるのですが』などと言いました。先方から『○月○日に官房長官公邸に来てほしい』と言われましたので、官房長官公邸に行くことになったのです。私と田中が官房長官公邸を訪ねた日は江副から指示を受けた日ではなくその数日後であったと記憶しています。その具体的な日時はよく覚えていませんが、昭和六〇年三月初旬頃の寒い日でした。そして確か午前中に官房長官公邸に伺ったと記憶しています。私と田中は官房長官に会う訳ですから背広を着てびしっとした身なりで官房長官公邸に伺いました。私と田中はリクルート本社から車に乗って官房長官公邸に行きましたが、社用車で行ったか、あるいはタクシーで行ったかこの点はよく覚えておりません。私はこれまで官房長官公邸に行ったことはなく官房長官公邸にいくのはこの日が初めてでした。確か官房長官公邸玄関を開けてもらうまで門番などのチェックを受けたと思います。私と田中が官房長官公邸を訪ねますと秘書の方が中に入れてくれました。その秘書の方は先程お話ししたように私が事前にアポイントを取っておりましたので、私達のことを待っていてくれたのではないかと思います。私と田中は玄関を入り、確か玄関の右側にある会議用の大きなテーブルが置いてあった部屋に通されました。そして秘書の方から『しばらく待ってください』などと言われましたので、私と田中は会議用の大きなテーブルの前のイスに座って藤波さんがいらっしゃるのを待っていました。その時私はその部屋の中を見回したのですが、とても古い感じのする部屋で、その日はとても寒かった上に部屋の暖房がよくきいておらず、座っていてもすごく寒く感じたことを今でもよく覚えています。先程お話しした資料については官房長官公邸に来る前は私が手に持っていましたが、藤波さんが私達のいる部屋にいらっしゃる前に田中に渡しておきました。私と田中が会議用の大きなテーブルの前の椅子に座ってしばらく待っておりますと、藤波さんが奥の方から私達のいる部屋にやってきましたが、その時藤波さんは背広を着ておられスリッパを履いておられました。私は藤波さんが私達のいる部屋に入って来られましたので、椅子から立ち上がり藤波さんに『お邪魔します』と挨拶をしました。田中も椅子から立ち上がって同じような挨拶をしていたと思います。藤波さんは私達が右のような挨拶をしますと、私達に椅子に座るようにと言ってくれ、藤波さんも私達に向かい合うようにしてテーブルの前の椅子に座られました。先程申し上げたように、私と田中が官房長官公邸を訪ねた日は寒い日で、公邸内は暖房がきいていないような気がしました。だから私達は寒そうな恰好で椅子に座っていたのだとお思いますが、藤波さんはそんな私達を見て『この建物は古いので暖房が十分行き届かないんです』などと言っていらっしゃいました。その後田中は江副に指示されたように藤波さんに対し官庁の青田買い防止のことや臨教審のことでお願いをしました。田中は藤波さんに『ご多忙のところ申し訳ありません』などと言った上、先程説明した昭和五九年四月下旬及び五月下旬の通産省や労働省が青田買いをしたとの新聞記事の写しをお見せしながら官庁の青田買い防止のことについては『青田買いの現状はとてもひどいもので昨年の通産省や労働省がフライングしています。就職秩序を守らせることが学生や産業界の為になることであり、産業界は官庁が青田買いをしていることが混乱の原因になっているといっておりますので、本年も各省庁の会議で青田買いの防止を徹底していただけないでしょうか』などと先程申し上げたような権限を持っている藤波官房長官の力添えで官庁が青田買いをしないようにたがをしめていただきたいとお願いしました。田中は臨教審のことについては『臨教審で青田買いのことを御審議いただいていますがありがとうございます。企業が学生を採用する際に有名校に在学しているということだけで採用する指定校制度をとったり、大学での本人の学業成績を参考にしないで青田買いをすることが大学教育に影を落とし、教育に対する価値観をゆがめている原因の一つになっているのではないかと思うのです。このような観点から指定校制の問題と青田買いの問題を取り上げて答申に盛り込んでいただければありがたいのですが』などと先程申し上げたような権限を持っていらっしゃる藤波さんの力添えで臨教審答申の中で青田買いが学歴社会の弊害の一因になっていることを盛り込んでいただきたいとお願いしました。このように田中は江副の指示どおりに藤波さんにお願いをした訳ですが、私は田中が右のようなお願いをしている時頭を振って相づきを打ちましたが、何も言いませんでした。もちろん私は田中と一緒にお願いをしているという気持ちは持っていましたが、田中が藤波さんにいろいろお願いしておりましたし、田中にまかせておけば私がいちいち口をはさむ必要もないと考えたので何も言わなかったのです。藤波さんは田中の説明を『そうですか、そうですか』などと言って熱心に聞いておられ、私共のお願いに対し『考えてみましょう』などとおっしゃってくれました。私と田中は藤波さんに『よろしくお願いします』などと言って椅子から立ち上がり、公邸を去りました。確か藤波さんは私達を玄関の所まで見送ってくださったと記憶しています。私と田中が官房長官公邸にどの位いたかはっきり覚えておりませんが、だいたい一〇分位いたと思います。私と田中が官房長官公邸に言って藤波さんに右のようなお願いをした状況については、会社に戻って田中と一緒に江副に報告いたしました。すなわち、私と田中は、江副の部屋に行き、田中が『藤波先生に官庁の青田買い防止のことや臨教審答申の中で青田買い防止を盛り込んでいただければありがたいと頼んだところ、藤波先生は考えてみましょうとおっしゃいました』などと報告しておりました。江副は私達に『御苦労様』と言っておりました。」
辰已室長の検察官調書は、田中専務取締役の検察官調書と対比すると、比較的具体的かつ詳細であり、官庁の青田買い防止問題並びに臨教審答申への青田買い問題の盛込みを依頼したところ、被告人が熱心に相づちを打ちながら聞いた上、「考えてみましょう。」などと応対していたというのであって、田中専務取締役の検察官調書とはよく符合しており、その信用性を疑うべき特段の事情もなく、これらによれば、被告人が田中専務取締役らから官庁の青田買い防止の対策を含めて依頼を受けたことは明らかであるというべきである。
(4) 続いて指摘すべきことは、江副が田中専務取締役らに本件請託を命じたことを検察官調書において認めているということである。すなわち、江副は、昭和六〇年二月か三月ころの取締役会で官庁の青田買い防止のために官房長官の被告人に陳情することが決まり、田中専務取締役及び辰已室長に対して、「官房長官のところへ行って官庁の青田買いを防止する対策をお願いしてきてくれ。」と指示した旨、供述している(乙書一〇、一二、一六、二二、二四ないし二七、三〇)。この供述の信用性を疑うべき理由がないことは、前述したとおりであり、田中専務取締役及び辰已室長の各検察官調書とその信用性を互いに補強し合う関係にあるということができる。
(5) さらに、関係証拠によると、昭和六〇年四月一〇日の人事課長会議において、前年度と同様に、民間の就職、協定の趣旨を尊重して官庁の青田買いを行わないことを申し合せたが、そのころ開かれたリクルート社の取締役会において、申合せがされても昨年のように官庁の青田買いがされるかもしれないので、本年もまた池田衆議院議員に就職協定のことで国会質問をしてもらうことが決定され、そのための資料や質問案が作成されて、同年六月上旬ころ、辰已室長及び勝野課長が池田議員と面会して、資料等を渡し、臨教審答申で学歴社会の是正策として就職協定違反の青田買いを防止することが審議されており、本年も四月一〇日に昨年と同様就職協定に協力するとの申合せがされているが、官庁の青田買いのことを質問するとともに、国会で右申合せを遵守するとの政府側の答弁を引き出してほしい旨、質問を依頼したこと、その後通産省による青田買い問題が新聞で報道されると、同年六月一八日にはその資料を池田議員に渡して、その点の質問も依頼し、同月一九日の衆議院文教委員会において、池田議員がこれらの点について質問をし、人事院側から「今後とも申合せの趣旨が徹底されるように努めたい。」、松永光文部大臣からは、「役所の側は厳に守っていただきたいと切に希望する。」旨の答弁があり、一応所期の目的を達したこと、ところが、同年九月一二日に開かれた文部大臣、労働大臣、経済四団体の長等の懇談会の席上で、松崎専務理事が昭和六二年三月卒業予定者に対する就職協定は行わないというのが自分の心境である旨発言したため、昭和六〇年一〇月初旬のリクルート社の取締役会において、江副から、「臨教審答申が指摘している青田買い防止について、政府に答申に沿った対応をしてもらおう。池田先生に国会質問をお願いして、総理大臣、文部大臣、労働大臣に就職協定に向けて努力するとの答弁を引き出してもらおう。」との提案があり、これが取締役会で決定されたこと、そして、リクルート社で資料が作成された上、同月中旬ころ、辰已室長及び勝野課長が池田議員を訪ね、リクルート社で作成した資料等を渡して、「臨教審の第一次答申が六月に出て、学歴社会の弊害の是正策として指定校廃止と青田買いの防止が取り上げられましたが、国会で臨教審のことを取り上げていただき、実効性のある就職協定の早期取決めについて質問をお願いします。」と依頼し、池田議員もこれを承知し、同年一〇月三〇日に開かれた衆議院予算委員会で、これらの点について質問を行い、松永文部大臣からは、「今後とも労働省とも協議しながら、企業も守れるような就職協定を作るように努力していきたい。」、山口敏夫労働大臣からは、「文部省等の意見も踏まえて、経済団体等とも話し合い、新たな実効性ある就職協定を作るように努力したい。」、中曽根康弘総理大臣からは、「関係大臣によく相談させましてできるだけ早期に手を打つように努力させたい。」との各答弁を引き出したこと、その後、同年一一月初旬のリクルート社の取締役会において、再度池田議員に質問をしてもらうことになり、辰已室長及び勝野課長が、池田議員に、「青田買い防止は臨教審答申でも学歴社会の弊害是正策として取り上げられた重要課題ですので、文教委員会で、政府側の取組みを質問していただきたい。協定締結の時期についても質問をお願いしたい。」と依頼し、これを承知した池田議員が、同月一五日に開かれた衆議院文教委員会で、これらの点について質問を行い、労働省係官からは、「就職協定の基本からして、年内にめどをつけたいと大臣は思っているだろう。」、松永文部大臣からは、「遅くとも一月早々ぐらいには何らかのルールづくりができれば望ましい。」との各答弁を引き出したこと、以上のような事実が認められる。そして、さらに、関係証拠によると、同年六月下旬ころから昭和六一年五月ころまでに、リクルート社から池田議員に対して、金額一〇〇万円の小切手一通が交付されたほか、現金合計五〇〇万円が池田議員の関連会社に振込送金され、同年九月三〇日ころには一般人が入手することが困難な未公開株であるリクルートコスモスの株式五〇〇〇株が実際に見込まれた価額より著しく低額である一株三〇〇〇円で池田議員に譲り渡されたことが認められる。このような事実からすると、リクルート社が官庁の青田買いの問題について継続的に深い関心を有していたことが明らかであり、そのような中で、田中専務取締役らが被告人を公邸に訪問した際に、被告人に対して、官庁の青田買い問題を全く持ち出さなかったなどということは、まことに不自然、不合理であって、到底考え難いというべきであり、原判決はこのような事情を看過したものというほかはない。
(6) ちなみに、原判決が昭和六〇年三月に田中専務取締役及び辰已室長が被告人に官庁の青田買い防止策を依頼したことを疑う根拠として指摘する諸点は、以下のとおり、いずれもその理由がないというべきである。
① 原判決は、昭和六〇年一月二三日開催のリクルート社の取締役会では、官庁の青田買いの防止策に関して検討された形跡がないから、そのような請託があったとするには疑問があると指摘する。
右取締役会の結果を記載した書面と認められる甲書五二〇には、「協定(決め手なし)」の標題の下、「①経済三団体中心にテコ入れ。特に、日商、中央会とのリレーションを強め、会合の場においての発言力を高めてもらい、井上課長を鼓舞させる。②文部大臣とのトップリレーションを強め(江副、位田T)、協定への関心を深めてもらう。(大学での成績が就職先と深く関係させ、大学で勉強させるようにする。臨教審と協定との関係)③就職協定セミナーはタイミングをみて実施する。(東京、大阪)今年の採用戦線と協定とのような形にすることも考える。」との記載がある。原判決は、右書面と位田専務取締役(甲書一三六)、勝野課長(同一五四)、辰已室長(同一二四)、田中専務取締役(同一三一)の各検察官調書とを併せると、昭和六〇年一月二一日の松崎専務理事の「就職協定に熱意を失った。」旨の発言を契機として、リクルート社においては就職協定の存続、遵守に強い危機感を抱くようになり、就職協定問題には決め手がない実情にあることから、江副や位田専務取締役が当時の松永文部大臣に直接働き掛けるほか、臨教審で就職協定や青田買い問題を審議してもらって、答申の中にこれらを盛り込んでもらい、それをてこにして就職協定の存続、遵守を図るべきとの方向が取締役会で打ち出されたのであり、甲書五二〇には、それ以外に、前年と同様に人事課長会議において官庁による青田買い防止の申合せを依頼するとの記載がない、と指摘する。確かに、甲書五二〇には官庁の青田買い防止策に関する記載が見当たらないことは原判決が指摘するとおりであるが、この書面には前記取締役会の決定事項のすべてが記載してあるとも言い得ないこと、位田専務取締役、勝野課長の前記検察官調書には、昭和五九年度の人事課長会議における申合せは一年限りのものであり、昭和六〇年度に関しては新たな申合せが当然必要であると理解していた旨の記載があり、昭和六〇年度の新たな申合せは当然必要なことであると考えていたと思われること、前述のとおり、江副は、田中専務取締役及び辰已室長に対して、官庁の青田買い防止の対策を被告人に依頼するように指示したことを明らかにしており、この供述の信用性を疑わなければならない状況等は存在しないこと、田中専務取締役及び辰已室長も江副から官庁の青田買い防止策を被告人に依頼するように命じられた旨供述していること等に照らすと、原判決が指摘する点は理由がないというべきである。
② 原判決は、江副らは前年度の人事課長会議の申合せがありがたかったというのであるから、そうであれば端的に本年度も人事課長会議で申合せをしてもらいたいと依頼すれば足りるはずであるのに、田中専務取締役及び辰已室長の前記各検察官調書にはそのような記載がなく、不自然である、と指摘する。
しかしながら、江副は、前年度、被告人に対して官庁の青田買い防止策について請託し、被告人了承のもとに、人事課長会議による申合せが行われたのであり、官庁の青田買い防止策を依頼すれば、人事課長会議による申合せということが頭に浮かぶことは容易なことであり、原判決が指摘するような直接的な依頼がなくても、不自然であるとは考えられないこと、田中専務取締役は、検察官調書(甲書一三一)で、「藤波先生に対し、官庁の青田買い防止について、昨年同様にお願いしたい旨述べた。各省庁の人事担当者に青田買いの自粛を徹底するよう申合せをさせてほしいということまでは申し上げるまでもなく十分御承知いただけるものと思った。藤波先生という立派な方にそんな生々しい話もできないので、この程度の話にとどめた。」と供述していることからしても、原判決の見解が賛同し得るものでないことは明らかである。
③ 原判決は、関係者が一致して臨教審答申への青田買い問題の盛込みを供述していることからも、被告人への依頼の趣旨はその点に尽きていたと見るべきである、と指摘する。
しかしながら、前述のとおり、リクルート社においては、就職協定問題に関する決め手がない状態であったため、臨教審答申の中で就職協定の存続、遵守の必要性や青田買い問題を盛り込んでもらい、それをてこにして就職協定の存続、遵守を図るとの戦略の下に各種の働き掛けを行っていたのであり、官庁の青田買いが民間有力企業の青田買いを誘い、そのようなことが就職協定の存続、遵守に悪影響を及ぼし、結局はリクルート社の事業の展開にマイナスになると考えていたことに変わりはないのであるから、関係者が一致して臨教審答申への青田買い問題の盛込みを供述しているからといって、被告人への依頼の趣旨がその点に尽きていたと見なければならないものではないことは明らかであり、原判決は証拠の評価を誤ったものであるというほかはない。
④ 原判決は、昭和六〇年六月、辰已室長及び小野課長が被告人を内閣総理大臣官邸に訪問して小切手を供与した際、辰已室長は、「その節はありがとうございました。臨教審では御苦労様です。江副からですが、お納め下さい。」などと発言して小切手を渡しており、官庁の青田買い防止の善処方に対する謝礼の趣旨が明示されておらず、当時は臨教審答申がされた直後であったことを併せると、臨教審答申で青田買い問題が取り上げられたことのお礼ではないかと考えられる、と指摘する。
しかしながら、辰已室長は、検察官調書(甲書一二九)で、「私と小野がその部屋で待っていますと、藤波さんがその部屋に入って来られ、私達と向かい合うようにしてソファに座られました。その時藤波さんは背広を着ていましたが、どのような色の背広だったかまではよく覚えておりません。私は藤波さんが部屋に入って来られた時、ソファから立ち上がって、『その節はありがとうございました』などと官庁の青田買いのことや臨教審のことで田中と一緒にお願いをした時のお礼を言いました。そうしますと、藤波さんが手でソファに座るようにとの仕草をしてくれましたので、またソファに座りました。そして、私は金額合計五〇〇万円の小切手の入っている白封筒を背広の内ポケットから取り出し、藤波さんに、「臨教審では御苦労様です。江副からですがお納め下さい。」などと言ってテーブルの上に差し出しました。」というのであり、約三か月前に田中専務取締役とともに被告人を公邸に訪問して官庁の青田買い防止と臨教審答申への青田買い問題の盛込みの依頼をした際のことを、「その節」と表現したことが明らかであって、原判決は証拠の評価を誤ったものというべきである。
(7) したがって、所論が指摘するとおり、昭和六〇年三月ころ、江副の指示を受けた田中専務取締役及び辰已室長が被告人を公邸に訪問し、官庁の青田買いの防止策についての善処方を請託した事実はその証明は十分であるというべきであり、この点の証明が不十分であるとした原判決は事実を誤認したものであるというべきである。
5 本件各小切手供与の賄賂性に関する被告人の認識の有無について
(一) 原判決の認定の要旨
本件において、供与された小切手が賄賂であると被告人が認識していたことを直接示す証拠は存在しない、したがって、被告人がそれらの小切手が賄賂であることを認識していたかどうかについては、被告人に対して小切手が供与されるに至った経緯、小切手供与時の状況、江副らが被告人に対して請託した趣旨、状況等を総合して判断せざるを得ないが、それらの事情を総合考慮しても、供与された本件各小切手が賄賂であると被告人が認識していたことについては、合理的な疑問が残る。
(二) 控訴の趣意
関係証拠を総合すれば、被告人が本件各小切手供与について賄賂性を認識していたことは明らかであり、これと異なる原判決の認定は、証拠の取捨選択及び評価を誤った結果、事実を誤認したものである。
(三) 当審の判断
(1) 関係証拠により判明する限りの、リクルート社から被告人に対する支出の状況等は、以下のとおりである。
① 昭和五五年五月ころ、俳句集出版記念パーティーのパーティー券を数枚購入した。(当時の被告人は労働大臣。金額等は不明)
② 昭和五七年一一月二日開催の出版記念パーティーのパーティー券を四〇〇万円購入した。(当時の被告人は内閣官房副長官。代金は、同年一〇月一八日、三和銀行新橋支店の「藤波孝生出版記念会事務局長水谷太」名義の普通預金口座に振り込まれた。)
③ 昭和五八年一月から昭和六一年四月までの間、三重県伊勢市の藤波事務所秘書の横山哲也をリクルート社の従業員として扱って、月額約一七万円(六月と一二月には別にボーナスとして約二六万円ないし約二八万円)を横山名義の銀行預金口座に送金し、昭和六一年五月から平成元年一月までの間、リクルート社の関連会社である株式会社大西企画(昭和六一年一一月株式会社オー・エヌ・ケーと商号変更)取締役として、月額約二〇万円ないし約二一万円(六月と一二月には別にボーナスとして約二四万円ないし約二六万円)を右口座に送金していた。(その間の被告人は、内閣官房副長官、官房長官、自民党国会対策委員長、中曽根派事務総長等の職にあった。)
④ 昭和五八年一一月二〇日、リクルート社振出しの金額五〇〇万円の小切手を交付した。(当時の被告人は官房副長官。同月二九日、三菱銀行麹町支店の「藤波事務所TBR分室分室長水谷太」名義の普通預金口座に入金した。領収書は、関西春秋研究会、二十一世紀研究会、春秋研究会、新政治経済研究会、東京藤波会が各一〇〇万円出している。)
⑤ 昭和五九年三月、江副個人が被告人を支援する「さざ波会」(牛尾治朗らを中心とする日本青年会議所のOBらで構成)に加入し、以後年会費四八万円を支払っていた。(当時の被告人は官房長官。)
⑥ 昭和五九年五月、同年春に創設の被告人の政治資金規制法による届出団体である「新生会」に加入し、以後年会費一〇〇万円を支払っていた。(当時の被告人は官房長官。)
⑦ 昭和五九年八月一〇日、リクルート社振出しの金額二〇〇万円、リクルート情報出版振出しの金額三〇〇万円の各小切手を交付した。(当時の被告人は官房長官。同月二三日、東京銀行日比谷支店の水谷太名義の普通預金口座に入金した。領収証は、リクルート社分は関西春秋研究会、東海春秋研究会が各一〇〇万円、リクルート情報出版分は二十一世紀研究会、春秋研究会、新政治経済研究会が各一〇〇万円出している。)
⑧ 昭和五九年一二月一九日、リクルート社振出しの金額一〇〇万円の小切手三通、リクルート情報出版振出しの金額一〇〇万円の小切手二通を交付した。(当時の被告人は官房長官。同月二一日、⑦の口座に入金。領収証は、リクルート社分は春秋研究会、二十一世紀研究会、新政治経済研究会が各一〇〇万円、リクルート情報出版分は東海春秋研究会、関西春秋研究会が各一〇〇万円出している。)
⑨ 昭和六〇年六月二六日、リクルート社振出しの金額一〇〇万円の小切手五通を交付した。(当時の被告人は官房長官。同月二八日、⑦の口座に入金。領収証は、春秋研究会、二十一世紀研究会、新政治経済研究会、東海春秋研究会、関西春秋研究会が各一〇〇万円出している。)
⑩ 昭和六〇年一二月五日、リクルート情報出版振出しの金額一〇〇万円の小切手五通を交付した。(当時の被告人は官房長官。同月六日、⑦の口座に入金。領収証は⑨と同じ。)
⑪ 昭和六一年六月九日、リクルート社振出しの金額一〇〇万円の小切手一〇通を交付した。(当時の被告人は自民党国会対策委員長。同月一一日、東京銀行日比谷支店の德田英治名義の普通預金口座に入金。)
⑫ 昭和六二年七月一六日、リクルート社振出しの金額一〇〇万円の小切手三通を交付した。(当時の被告人は自民党国会対策委員長。同月一七日、⑪の口座に入金。)
⑬ 昭和六二年一二月三日、リクルート社振出しの金額一〇〇万円の小切手五通を交付した。(当時の被告人は中曽根派事務総長。同月四日、⑪の口座に入金。)
⑭ 昭和六二年一二月二六日、リクルート社振出しの金額一〇〇万円の小切手五通を交付した。(当時の被告人は中曽根派事務総長。同月二八日、⑪の口座に入金。)
⑮ 昭和六三年六月一七日、江副振出しの金額一五〇〇万円の小切手一通を交付した。(当時の被告人は中曽根派事務総長。同月二三日、⑯とともに合計一八〇〇万円が東京銀行日比谷支店の徳田太名義の普通預金口座に入金。)
⑯ 昭和六三年六月二二日、リクルートコスモス振出しの金額三〇〇万円の小切手を交付した。(当時の被告人は中曽根派事務総長。⑮とともに合計一八〇〇万円が⑮の口座に入金。)
(2) また、昭和五七年以降の藤波事務所における資金管理は、被告人の官房長官当時の政務担当秘書官である德田英治(以下「德田秘書」という。)の指示を受けて、私設秘書である水谷太(以下「水谷秘書」という。)が専ら担当していたが、関係証拠によると、その処理方法等は以下のとおりであったと認められる。
① 昭和五九年九月三〇日、東京銀行日比谷支店に水谷太名義の普通預金口座を、また、同年一一月一〇日、同支店に水谷太名義の定期預金口座をそれぞれ開設して、これらを藤波事務所の資金管理口座として使用し、同事務所の資金については、事務所内に置かれていた金庫と右両口座で保管、管理していた。
② ところが、水谷秘書が、自己が使用するクレジットカードの支払口座としても右普通預金口座を使用していたので、事務所経費と水谷秘書の個人的支出とが混同するおそれが生じ、昭和六一年三月一四日、右普通預金口座を解約して、新たに同支店に德田英治名義の普通預金口座を開設し、これに事務所資金を移し変え、右口座を事務所資金管理口座として使用するようになった。
③ ところが、德田秘書においても、個人的に使用するクレジットカードの支払口座として右普通預金口座を使用するようになったため、右預金口座を德田秘書の個人的な口座にすることとし、昭和六三年三月一日、新たに同支店に「徳田太」名義の普通預金口座を開設して、右口座に事務所資金を移し変え、これを事務所資金管理口座として使用するようになった。
④ そのほかに、時期の点はともかくとして、後援会会費等の資金管理口座として、第一勧業銀行赤坂支店(東京藤波会水谷太、藤友会事務局長水谷太、志摩路会代表者水谷太各名義)、同銀行新橋支店(春秋研究会事務局長水谷太名義)、富士銀行新橋支店(春秋研究会事務局長水谷太名義)、同銀行梅田支店(関西春秋研究会事務局長水谷太名義)、三菱銀行麹町支店(新政治経済研究会事務局長水谷太、藤波事務所TBR分室分室長水谷太名義)、同銀行新橋支店(春秋研究会事務局長水谷太名義)、住友銀行新橋支店(春秋研究会事務局長水谷太名義)、大和銀行衆議院支店(春秋研究会事務局長水谷太名義)、同銀行参議院支店(二十一世紀研究会代表者水谷太名義)、東海銀行金山支店(東海春秋研究会事務局長水谷太名義)等に預金口座が存在していた。
(3) リクルート社の被告人に対する定期的な献金がいつ始まったのかが、本件では争点の一つである。
この点について、原判決は、昭和五八年一一月に三菱銀行麹町支店の藤波事務所TBR分室分室長水谷太名義の普通預金口座にリクルート社振出しの金額五〇〇万円の小切手が入金されているが、この口座が定期的献金受入口座であることを否定することができないこと、金額が昭和五九年八月以降と同額であり、時期的にも、盆、暮れの政治献金が行われる時期と合致していること、形態も小切手供与という同一のものであること等に照らすと、リクルート社から被告人に対する定期的献金は昭和五八年一一月から開始されたと認められる、とする。
確かに、関係証拠によると、原判決が指摘するとおり、三菱銀行麹町支店の藤波事務所TBR分室分室長水谷太名義の普通預金口座には、昭和五八年一一月にリクルート社振出しの金額五〇〇万円の小切手が入金されていること、金額が昭和五九年八月以降と同額であり、時期的にも、盆、暮れの政治献金が行われる時期と合致していること、形態も小切手供与という同一のものであること、また、同口座には「サングレイン」という振込先から、昭和五八年秋以降、毎年ほぼ同時期に一〇〇万円ずつの入金がされているほか、「ショウワカンコウカイハツ」という振込先から、昭和五八年秋以降、毎年夏から秋にかけて、六〇万円から一〇〇万円の入金がされていることが認められ、これらの事実からすると、リクルート社から被告人に対する定期的献金は昭和五八年一一月から開始されたと認められる節もないではない。
しかしながら、右「サングレイン」及び「ショウワカンコウカイハツ」以外には、他に連続して毎年一定の金額を入金しているような振込先は見当たらないこと、その他の大部分の振込入金は、衆議院議員総選挙が行われた時期である、昭和五八年一二月ころと昭和六一年七月ころに集中していること、現に被告人の政治団体の一つである関西春秋研究会は選挙に際しての資金援助を右口座に振込送金するよう依頼文書を発出していること、リクルート社においても、昭和五八年一一月ころには、被告人に対してだけではなく、衆議院議員と思われる多数の者に対して集中的に献金をしていること、具体的には、同月二八日には浜田卓二郎あてに四〇〇万円を、海部俊樹あてに一五〇万円を、大塚雄司、有馬元治、加藤紘一及び長谷川峻あてに各一〇〇万円を、同月二九日には鈴木善幸あてに五〇〇万円を、森喜朗あてに二〇〇万円を、同月三〇日には中曽根康弘あてに二五〇〇万円を、同年一二月一日には石井一あてに六〇〇万円を、同月二日には小杉隆あてに二〇〇万円を、与謝野馨あてに一〇〇万円を、同月六日には栗原祐幸あてに四五〇万円を、同月八日には安部晋太郎あてに五〇〇万円を、それぞれ小切手により集中的に献金しており(弁書一〇九、一五七ないし二〇七)、これらはいずれも衆議院議員総選挙の選挙応援資金として拠出されたと考えられること、かえって、被告人に対する昭和五九年八月以降の献金として交付された小切手については、すべて藤波事務所の資金管理口座である東京銀行日比谷支店の普通預金口座が利用されているのに対して、昭和五八年一一月の献金はこれとは異なる処理がされており、藤波事務所においては両者が性格の異なる献金であると考えていたことがうかがわれることからすれば、昭和五八年一一月の献金は選挙資金のためにされたものであり、その後の定期的献金とはその性格を異にするものと見るのが合理的であると考えられる。
一方、この点について、江副の検察官調書(乙書二三)は、「昭和五九年八月ころに、五〇〇万円を藤波先生に差し上げることは私が決めて、藤波先生に対し『半期五〇〇万円、年間で一〇〇〇万円の献金を、当分の間、させていただきたいと思いますが。』と話をしたところ、藤波先生も了解されましたので、以後昭和六〇年の一二月まで四回にわたって各五〇〇万円の献金をしたわけであります。」といい、また、江副の検察官調書(乙書二四)は、「藤波先生に対し、五〇〇万円というような多額のお金を盆、暮れという形で私共から差し上げるようになったのは、昭和五九年八月が最初であります。昭和五九年八月に藤波先生に五〇〇万円を差し上げる少し前ころに、どこでだったか場所は忘れましたが、私から藤波先生に対し、『今後、盆、暮れ合わせて一〇〇〇万円程度の資金援助をさせていただきます。』と話したところ、藤波先生は、『どうもありがとうございます。』とお礼を言われました。以上の次第ですので、藤波先生御自身は、私共の方から以上申し上げたような五〇〇万円の金を四回差し上げていることは十分承知されていると思います。」という。これらの江副の検察官調書では、いかなる場所で、また、どのような経緯から、江副が被告人に定期的な献金の話を持ちかけたのかが不明である上、供述内容も極めて抽象的かつ概括的であって、供述の信用性の判断に際して重要であると思われる具体的な事実の記載をほとんど欠くものであり、その信用性の判断に困難を覚えるばかりでなく、しかも、後述するように、捜査当時から判明していたはずの前記(1)の④の昭和五八年一一月に行われた五〇〇万円の献金については、捜査段階では関係者からその説明を求めるような取調べが全く行われておらず、これが、本件小切手供与の賄賂性の判断やその点に関する被告人の認識についての判断に困難を来すものであることは明らかであり、このような点にかんがみると、江副の検察官調書は甚だ不完全であって、その取調べが不十分であることは否定し難いものと思われる。しかしながら、江副の取調べに臨む態度は前述したとおりであり、江副が納得した内容でしか調書化することができなかったというのであるから、供述調書が不十分であることを単に検察官の取調べの不十分さに帰することは相当とはいえない事情があるばかりでなく、江副自身が自ら納得した上で、被告人に対する定期的な献金を始めたのは昭和五九年八月であることを供述するものであるということができると考えられる。したがって、これが他の関係証拠によって裏付けられる場合には、その点の証明力は肯認して差し支えないと考えられる。そして、そのような観点から他の関係証拠を検討すると、德田秘書及び水谷秘書は、いずれも、その検察官調書において、リクルート社から被告人への定期的献金が始まったのは昭和五九年からであるとしていること(甲書八七三ないし八七六、一〇〇八、一〇一〇)、また、前述のとおり、藤波事務所の資金管理口座である東京銀行日比谷支店の口座にリクルート社からの献金の振込みが始められたのは昭和五九年八月以降の献金からであること等の事実が認められ、これらの事実を併せ考えると、昭和五九年八月ころ、被告人に対し、盆、暮れに合わせて一〇〇〇万円の献金をすることを話した、とする江副の前記検察官調書は、その限りでは信用し得るものであると考えられ、リクルート社から被告人への定期的な献金が開始されたのは昭和五九年八月であると認定するのが相当であると考えられる(なお、被告人の検察官調書(乙書六五)にも、「德田、水谷に任せきりにしているので、(リクルート社からの献金開始時期は)よく判らない。五九年ころから盆、暮れの時期に受けていたようである。」との記載がある。)。
なお、原判決は、本件捜査の主任検事は昭和五八年一一月のリクルート社から被告人への五〇〇万円の資金援助を把握していなかった疑いがある、と指摘するが、検察官内尾武博の当審第三回公判証言及び当審で取り調べた同人作成の捜査報告書によると、内尾検事は、平成元年四月三日から、リクルート社及びその関連会社の公表帳簿等の証票類等を検討して、リクルート社から被告人にされた資金供与の状況を捜査し、その結果を同月二六日に、本件捜査の主任検事である宗像紀夫あてに報告していることが認められるが、その中には昭和五八年一一月の資金供与の事実も記載されており、原判決のこの点の指摘は疑問であるばかりでなく、仮にこの点が原判決の指摘するとおりであったとしても、そのことが被告人の賄賂性の認識に直接影響を及ぼすものではないというべきである。
(4) ところで、昭和五九年八月以降のリクルート社からの献金の趣旨について、江副の検察官調書(乙書二四)は、「昭和五九年三月中旬ころ、官房長官公邸に赴きまして、藤波先生に対し、就職協定に関する問題、具体的に言いますと、公務員の青田買いの問題につきまして、これが防止されるよう官房長官の立場から各省庁のとりまとめなどの善処方をお願いした事実があります。そして、その五か月後である昭和五九年八月私共から藤波先生に対し、五〇〇万円を差し上げ、更に、その年の一二月に同様に五〇〇万円を差し上げている訳でありますから、その謝礼というふうに認められるかも知れませんが、盆、暮れのいわゆる政治献金ということで出したものであります。先に申し上げた請託のお礼の要素がなかったのかと言われれば、これを否定することができませんが、私の気持ちとしては、藤波先生は、将来総理大臣にまでもなられる方と思っておりましたので、その政治的大成を願って、財政的なバックアップをしようという気持ちが強かったのです。これらのお金に請託のお礼の要素が少しはあったことは認めます。次に、私共のリクルートでは、昭和六〇年三月初旬ころにも、私の指示で、田中壽夫専務、辰巳雅朗取締役が藤波官房長官に対し、私が前に行ったのと同様に、公務員の青田買いの防止等就職協定の問題等について、再度官房長官としての善処方を陳情した事実があります。そして、その三か月後の昭和六〇年六月下旬ころ、私共から藤波先生に対し、五〇〇万円を差し上げ、更に、その年の一二月に同様に五〇〇万円を差し上げている訳です。ですから、これらのお金は、その請託の謝礼そのものと見られるかも知れませんが、私としましては、盆、暮れのいわゆる政治献金ということで出しているものであります。しかしながら、この請託のお礼の要素が全くなかったのかと言われれば、これを否定することはできず、そういう含みがあったことは事実です。」と述べており、江副の検察官調書(乙書二六)も同旨の供述をしている。これらの、江副の検察官調書は、その限りでは、本人がその本心を供述するものであって、十分信用し得るものと考えられ、したがって、昭和五九年八月から昭和六〇年一二月までの間の献金が官庁の青田買い防止に関する請託に対する謝礼という賄賂の趣旨を含むものであることは明らかである。
また、辰巳室長の検察官調書(甲書一二九)は、「臨教審第一次答申の出た昭和六〇年六月下旬ころ、小野とともに、江副から『これを持って藤波先生の所に行ってくれないか。臨教審のことでいろいろ御苦労されているのでよろしく言ってくれ。小切手で五〇〇万入っている。』と小切手入りの封筒を渡された。昭和五九年中には江副が官庁の青田買いの件を、昭和六〇年中には私と田中が官庁の青田買いや臨教審のことでお願いに行っているので、江副はそのお礼の気持ちから藤波さんに小切手を差し上げようとしているのだなと思いました。また、昭和五九年三月二八日には各省庁人事担当課長会議で、官庁も就職協定に協力するとの申合せがなされ、翌六〇年四月一〇日の各省庁人事担当課長会議でも、前年の申合せを引き継ぐことになり、更には昭和六〇年六月二六日に出た臨教審の第一次答申で、学歴社会の弊害是正策の一つとして青田買いを改めるということがあげられましたので、江副はこれらは藤波さんの力添えのお陰であると感謝し、その感謝の気持ちから藤波さんに小切手を差し上げようとしているのだなと思いました。もちろん藤波さんは官房長官になられる前に文部政務次官や労働大臣を歴任され、文部行政や労働行政には詳しい方なので、江副は今後とも文部行政、労働行政のことで何かと藤波さんに世話になりたいという気持ちもあるのだろうと思いました。小野が事前に秘書の方に連絡をして藤波さんが首相官邸にいらっしゃることを確認して午後に首相官邸を訪ねました。私は首相官邸に行くのは初めてでしたが、小野はこれまで何回か首相官邸に来たことがあるようで、詰所のような所を通った後、勝手知ったる他人の家というかすたすたと歩いていました。私達は二階の秘書官室に行き、『リクルートですが、藤波官房長官にお会いに上がりました。』と言うと、応接室のような部屋に案内された。部屋で待っていると、藤波さんが部屋に入って来られ、ソファに向かい合うようにして座られました。私は、藤波さんが部屋に入ってこられたとき、ソファから立ち上がって、『その節はありがとうございました』などと官庁の青田買いのことや臨教審のことで田中と一緒にお願いをしたときのお礼を言いました。そうしますと、藤波さんが手でソファに座るようにとの仕草をしてくれましたのでまたソファに座りました。そして、私は、金額合計五〇〇万の小切手の入っている白封筒を背広の内ポケットから取り出し、藤波さんに、『臨教審では御苦労様です。江副からですがお納め下さい。』などと言ってテーブルの上に差し出しました。藤波さんは恐縮されたような感じで、『江副さんによろしく』などと言って私が差し出した小切手を受取られたのです。」と述べており、これまた官庁の青田買い防止に関する請託に対する報酬の趣旨が含まれていたことを明らかにしている。
(5) 問題となるのは、被告人の賄賂性に関する認識の有無である。原判決が、被告人において本件各小切手供与が賄賂であると認識していたことについての証明が不十分である、と判断していることは前示のとおりである。
ところで、公務員が職務行為に関して請託を受け、客観的にも当該公務員の職務行為と対価関係にあると認め得る一定の利益が当該公務員に対して交付された場合には、それが賄賂であると認識することが困難であると解される特段の事情がない以上、右利益の交付を受けた公務員には賄賂性の認識があったということができると考えられる。これを、被告人についてみると、被告人は、昭和五九年三月一五日ころ、江副から官庁の青田買い防止に関する請託を受けた後、前述のとおり、官房長官の地位を利用して、部下の中村内閣参事官に対し、公務員の試験日程等について質問をし、あるいは人事課長会議において申合せをすることに了解を与え、鹿児島局長に対し、公務員試験の合格発表日等について質問をし、さらに、リクルート社の関係者のフォローアップ訪問に対しては、官庁の青田買い防止に関しては承知した旨返事をしていたこと等が認められ、これらは被告人の江副の請託に対応する行動であることは明らかであること、また、リクルート社の被告人に対する資金援助は、昭和五七年一一月に被告人が内閣官房副長官に就任したことから飛躍的に増加したものである上、昭和五九年八月ころ、江副から新たに持ちかけられた献金額は、それだけでも年間一〇〇〇万円にも達するものであり、藤波事務所においては、そのように多額の資金を恒常的に提供する献金先は他に見当たらず、私設秘書に関する給与負担や後援会会費の支払等を合わせると、リクルート社からの資金援助は他に比して突出していたことが認められるのであって、被告人自身、これが請託に対する謝礼の趣旨を含むものであることは容易に察知し得たものであると考えられる。また、被告人は、昭和六〇年六月ころ、内閣総理大臣官邸において、江副の前記献金申出に従って、辰巳室長及び小野課長からリクルート社振出しの金額合計五〇〇万円の小切手を自ら受け取っているほか、被告人方から押収された内閣の便せん用紙に德田秘書が記載したと認められるメモ(甲書八七六、八七八、甲物一一六)には、昭和六〇年一二月の献金に関して、「劇団四季、小沢氏、一五〇万(小切手)、12/4。リクルート、間宮室長、一〇〇万×五枚(五〇〇万)(小切手)、12/4。新菱冷熱、五〇万」と、献金先、関与者、献金額、日時等が記載されており、さらに、前記秀和永田町TBRビルの藤波事務所で押収された水谷秘書から被告人あての記載がある封筒内(甲書一〇一五)には、「東京藤波会(第一勧業銀行)新政治経済研究会(三菱銀行)二十一世紀研究会(大和銀行)春秋研究会(住友銀行)東海春秋研究会(東海銀行)関西春秋研究会(富士銀行)それぞれに一〇月四日付けでシャ)ホッカイドウシャカイカイハツコウシャ、タカオカンコウ(カ、カ)タカオ、タカオビルカイハツ(カより、各一〇〇万円ずつ入金 水谷」との記載があるメモと後援会会費管理口座の預金通帳の写し等が収納されていたことに照らすと、被告人が献金の内容について詳細な報告を日常的に受けており、さらに、德田秘書及び水谷秘書が検察官調書において献金の都度被告人に報告していたと供述していることを併せ考えると、被告人が事務所資金の出入りの相当部分についてまで把握していたことは十分認められるというべきである。しかるに、被告人は、検察官調書(乙書六五)では、「国家公務員上級職試験の合格発表日が一〇月一五日であったのが、昭和五九年度から一〇月一日に繰り上げられたことは、関心もなかったし、関わりもなかったので、判らない。その点を人事院に問い合わせたこともない。昭和五九年三月二八日と昭和六〇年四月一〇日の各省庁人事担当課長会議で就職協定遵守の申合せがあったことは知らないし、報告を受けたこともない。リクルートから頼みを受けたことは一切ない。官房長官の時代に、江副を含めて、リクルートの者と直接会ったことは一度もない。」と供述し、また、検察官調書(乙書四六)では、「江副が官邸、公邸、議員会館、TBRビルの藤波事務所、杉並の自宅などに私を訪ねて来たことは一切ないし、会ったこともない。リクルートの者と直接会ったこともない。昭和五九年三月ころ、国家公務員上級職試験の合格発表期日が、これまでの一〇月一五日が一〇月一日と繰り上げられ、これに伴い官庁側も就職協定に協力する旨申し合わせたことは全く知らないし、その点に関して、中村徹に対して、質問、指示等をしたことはない。」と供述し、さらに、検察官調書(乙書六六)では、「昭和五九年三月二八日の各省庁人事担当課長会議で就職協定に協力する申合せをしたことは知らないし、報告を受けていない。リクルート関係者から官庁の青田買い防止策の陳情を受けたことはない。リクルート関係者から臨教審答申に関して陳情を受けてはいない。」と供述し、多額の資金援助をするリクルート社との接触自体を否定することに終始し、本件のリクルート社の献金の趣旨について合理的な説明は全くされていない。そもそも、リクルート社の関係者との接触自体を否定するということは、明らかに事実とは異なっている上、このような被告人の供述態度は、リクルート社からの資金援助が公明正大なものとはいえないことを被告人自身が認識していたことの一つの徴表であるとも考えられなくはない。まして、本件の請託内容や本件請託に関連すると疑われる資金援助に関して、関係者との接触の事実自体を否定することにより、本件請託や前記資金援助に関する弁解を拒むというその態度からは、賄賂性の認識があったが故にそのように不自然、不合理極まりない言動に出ているのではないかと想定されるのであり、関係証拠を検討してみても、被告人には賄賂性の認識を妨げるような具体的事情が存在することもうかがうことができないこと等を併せ考えると、被告人がその賄賂性を認識していたことの証明は十分であるというべきである。
(6) ちなみに、原判決が被告人に賄賂性の認識があったとするには疑問があると指摘した諸点について、若干の説明を加えておくこととする。
① 原判決は、被告人が賄賂と認識していたことを直接示す証拠がない、と指摘するが、各種の情況証拠等の積み重ねにより、その点が認定されれば足りることであり、直接示す証拠がないことが被告人の賄賂性の認識を否定するものではないことは明らかである。
② 原判決は、昭和五八年一一月に三菱銀行麹町支店の藤波事務所TBR分室分室長水谷太名義の普通預金口座にリクルート社振出しの金額五〇〇万円の小切手が入金されているが、この口座が定期的献金受入口座であることを否定することができないこと、金額が昭和五九年八月以降と同額であり、時期的にも、盆、暮れの政治献金が行われる時期と合致していること、形態も小切手供与という同一のものであること等に照らすと、リクルート社から被告人に対する定期的献金は昭和五八年一一月から開始されたと認められる、と指摘する。しかし、この点については、先に触れたとおり、原判決の判断には賛同することができない。
③ 原判決は、江副らリクルート社関係者から被告人に対して、官庁の青田買い防止の善処方の依頼があったとはいえないことを理由として、被告人に賄賂性の認識があったとするには合理的な疑問が残る、と指摘するが、前述のとおり、江副らが被告人に対して官庁の青田買い防止の善処方の依頼を行ったことは明白であるというべきであるから、この点の原判決の指摘も前提となる事実を誤認したものというべきである。
④ 原判決は、昭和五九年八月ころの江副から被告人への定期的献金の申入れの際に賄賂であるとの言動がなかった、と指摘するが、そもそも当事者間において賄賂であることが了解されていれば賄賂罪は成立するものであるから、具体的に賄賂であることを明らかにした言動がなくても、賄賂罪が成立することが明らかであり、この点の指摘も賄賂性の認識を否定する理由とならないことは明らかである。
⑤ 原判決は、昭和六〇年六月の供与分以外の小切手の交付は、小野課長から德田秘書に対して事務的に小切手が供与されているから、被告人が賄賂性を認識していたことには疑問がある、と指摘するが、既に、昭和五九年八月に江副が被告人に対して定期的献金の申入れを行った際に、その献金が賄賂であることを被告人が認識していたと認められるのであるから、その後の小切手の供与が事務的に行われたかどうかは、被告人の賄賂性の認識とは直接の関係はなく、そのような事情が被告人の賄賂性の認識を左右するものではないから、原判決の指摘は賄賂性を否定する理由とはならないというべきである。
⑥ 原判決は、昭和六〇年六月分に関しては、その授受の際の当事者の会話内容に照らすと、臨教審答申で青田買い問題が取り上げられたことに対する謝礼とも考えられる、と指摘する。
しかしながら、辰巳室長の検察官調書(甲書五七八)は、「江副が『これを持って藤波先生の所に行ってくれないか。臨教審のことでいろいろ御苦労されているのでよろしく言ってくれ。』などと言って、私に封筒を渡し、そのとき江副は『小切手で五〇〇万円入っている。』と言った。私と小野が応接室のような所でソファに座って待っていると、藤波さんがその部屋に入って来られ、ソファに座られました。私は藤波さんに『その節はありがとうございました。』などと青田買いの件で田中と一緒に藤波さんにお願いをしたときの礼を言った上、『臨教審では御苦労様です。江副からですがお納め下さい。』と小切手の入った封筒を差し出すと、藤波は恐縮の感じで『江副さんによろしく。』などと言って封筒を受取った。」というのであり、辰巳室長の検察官調書(甲書一二九)も同旨である。これらによると、辰巳室長は明確に昭和六〇年三月の請託時のことを「その節はありがとうございました。」と述べていることが明らかであり、青田買い問題が臨教審で取り上げられたことのお礼を述べたにすぎないという原判決の認定自体に誤りがあり、原判決のこの点についての指摘が賛同し得るものでないことは明らかである。
⑦ 原判決は、昭和五八年一一月の献金については、被告人の政治団体より一〇〇万円以下の領収証が提出されており、その後の献金と同様の処理がされているから、前記三菱銀行の口座が定期的献金の受入口座であることは否定することができない、と指摘するが、一〇〇万円を超える多額の献金を受けた政治家が、一〇〇万円以下に小口化して複数の政治団体から領収証を発行するのは、政治資金規制法との関係で一般的に行われていることであり、現に德田の検察官調書(甲書八七三)は、「領収証は自治省に出す報告書に名前を出さないようにするため、一〇〇万円以下に分散していました。」旨供述しているのであり、本件は適法な政治献金を装った授受の形式でなされているのであるから、そのような取扱いがされることは当然であり、これが前記口座が定期的献金受入口座であるとの証拠となるものではなく、しかも、被告人の賄賂性の認識に影響するはずがなく、原判決の指摘には誤りがあるというべきである。
⑧ 原判決は、被告人とリクルート社とのこれまでの関係では、定期的な政治献金がされても不自然ではない、と指摘するが、本件定期的献金が行われた経緯は前述のとおりであって、当初から賄賂の趣旨で本件定期的献金が行われたというのであるから、それまでの被告人とリクルート社との関係がどのようなものであるにしろ、そのことが被告人の賄賂性の認識を左右するようなものであるはずがなく、原判決の指摘には誤りがあるというべきである。
⑨ 原判決は、昭和五八年一一月から昭和六三年六月までの供与に定期的政治献金の趣旨が含まれていた可能性を否定することができない、と指摘する。
しかし、昭和五八年一一月分については、前述したとおり、選挙応援資金と認められるほか、昭和六一年以降の分については、水谷秘書の検察官調書(甲書一〇一二)によると、昭和六一年六月の一〇〇〇万円は、被告人が自民党の国会対策委員長当時の国政選挙に際して広範囲の議員に陣中見舞いを配らなければならない立場であったことから献金を受けたもの、昭和六二年七月の三〇〇万円は、中曽根派のパーティー券を事前にリクルートが三〇〇万円分購入すると約束していたので、藤波事務所が立て替えて支払っていたものの精算として献金を受けたもの、昭和六二年一二月の合計二〇〇〇万円は、中曽根派事務総長として派閥資金の手当をするために献金を受けたもの、昭和六三年六月の合計一八〇〇万円は、中曽根派推薦として参議院議員通常選挙比例区に立候補予定の佐藤欣子候補の資金として献金を受けたものであるというのであり、それまでの被告人に対する献金とは性格が異なると主張されており、これらも賄賂ではないかとの疑いは相当にあるものの、右主張を排斥するに足りる証拠がないため、それまでの定期的献金の趣旨とは異なる面があることを否定することができず、請託の報酬とするには問題があるとして、起訴の対象外とされたにすぎないものであり、定期的献金であっても賄賂性を帯びれば賄賂罪の成立が阻害されないのであるから、原判決の指摘は事実の評価を誤ったものというべきである。
⑩ 原判決は、人事課長会議の申合せが被告人の働きかけとは無関係に行われたから、リクルート社が被告人に対して賄賂を送ることは考えられない、とも指摘するが、請託に対応した行為をすることは受託収賄罪の成立要件ではないことに加えて、前述したように、被告人は、部下の中村内閣参事官より「人事課長会議で申合せをしたいが。」と事前に了解を求められ、これを了承したという経緯が認められるから、被告人とは無関係に申合せがされたというわけではなく、原判決のこの点の事実認定には誤りがあることが明らかである。
⑪ 原判決は、昭和五九年三月の請託から五か月も経過した昭和五九年八月に献金申入れがされたこと、及び、その間に、被告人から陳情への対応の説明がなく、リクルートから謝礼が述べられた形跡もないから、被告人には本件献金が賄賂であると認識することは困難であった、と指摘する。
しかしながら、前述のとおり、江副が昭和五九年三月一五日に官庁の青田買い防止策に関する請託を行ったところ、同月二四日にいわゆるフォローアップ訪問をした位田専務取締役らに対して、被告人から、その件は承知した旨の返事があったほか、同月二八日の人事課長会議において、被告人の事前の了解を受けて、官庁側も民間の就職協定の趣旨を尊重する旨の申合せを行ったというのであるから、請託を受けた後被告人がこれを放置したままであったという原判決の指摘は、明らかに事実を誤認したものというべきであり、根拠とはできないものである。また、本件賄賂が供与される直前には、被告人は、江副から、今後は年間一〇〇〇万円の資金援助を盆、暮れに行うと直接聞かされたというのであって、その時点では、少なくとも各献金が賄賂性を帯びると認識することができたことが明らかであるから、請託から五か月を経過していたから賄賂性の認識に困難を覚えるなどという事実関係ではないことが明らかであり、原判決の指摘は誤っているというほかはない。
⑫ 原判決は、本件献金には賄賂の趣旨と政治献金の趣旨が混在していたことになるが、被告人がこれを賄賂と認識するには特段の事情が必要であるのに、そのようなことがうかがわれないから、被告人には賄賂の認識に欠けていたとの合理的疑問が残る、と指摘する。
しかしながら、本件の定期的献金には賄賂性が含まれていることを被告人が認識していたことは、前述のとおりであり、江副の検察官調書にあるように、一部にいわゆる政治献金の趣旨が含まれていたとしても、そのことが賄賂罪の成立に何ら影響を及ぼすものではなく、まして、そのことにより被告人が賄賂性を認識できなかったなどというものではないから、原判決の見解には賛同することができない。
(7) そうだとすると、所論が指摘するとおり、被告人が本件各小切手供与に賄賂性を認識したことは明らかであり、この点について合理的な疑問が残るとした原判決は事実を誤認したものであるというべきである。
6 本件リクルートコスモス株譲渡の賄賂性に関する被告人の認識の有無について
(一) 原判決の認定の要旨
被告人が本件リクルートコスモス株一万株をリクルート社から譲渡されていた事実を認識していたことは明らかであるが、江副の被告人に対する陳情が、官房長官の職務権限に含まれないか、関連性の薄いものであり、具体的に官房長官の職務権限を念頭に置いてのものではないこと、本件リクルートコスモス株譲渡の申入れに際して、賄賂性を表すものがなかったこと、小野と德田の間では、事務的に本件リクルートコスモス株の譲渡がされており、賄賂性をうかがわせるものはないこと、江副やリクルート社が被告人に定期的援助を行っても不自然ではない関係にあったこと等に照らすと、被告人が本件リクルートコスモス株譲渡に賄賂性を認識したことについては、合理的な疑いが残る。
(二) 控訴の趣意
関係証拠を総合すれば、被告人が本件リクルートコスモス株譲渡に賄賂性を認識していたことは明らかであるから、これと異なる原判決の事実認定は、証拠の取捨選択及び評価を誤った結果、事実を誤認したものである。
(三) 当審の判断
(1) まず、本件リクルートコスモス株一万株を江副から譲り受けたのが被告人であることは、原判決が正当に認定、説示するとおりである。すなわち、関係証拠によると、江副が検察官調書(乙書一八)において、被告人に電話を掛けて、今度リクルートコスモス株が店頭公開されるので、一万株購入してほしいと連絡したところ、被告人が了承してくれた旨供述していること、実際に株取引に当たった小野課長が検察官調書(甲書一七二、一七三)において、江副からリクルートコスモス株一万株は被告人あてのものであり、その点は被告人も了承していると聞かされていた旨供述していること、江副の前記検察官調書によると、藤波事務所の関係では、被告人あてには一万株、德田秘書あてには二〇〇〇株が譲渡されているところ、一万株分の代金である三〇〇〇万円に関しては藤波事務所の資金管理口座である東京銀行日比谷支店の德田英治名義の普通預金口座から支出されているのに、二〇〇〇株の代金である六〇〇万円に関してはファーストファイナンスから德田秘書が個人的に融資を受けた分が充てられており、両者の取扱いには明らかな差異が認められること、リクルートコスモス株については、德田秘書の指示を受けた小野課長が、店頭登録の翌日である昭和六一年一〇月三一日、一万二〇〇〇株全株を代金合計六二四四万四三六〇円(委託手数料等を差し引いた残額)で売却し、德田秘書の個人口座である第一勧業銀行伊勢支店の德英治名義の普通預金口座に入金したが、その後ファーストファイナンスの預金口座に借入金の元利返済金として六〇四万七一七八円を送金して完済し、残金の内から五五〇〇万円を德田英治名義で同支店において一か月満期のMMC預金として運用し、同年一二月にはその元利金五五一一万九八八五円が同支店の前記の德田英治名義の普通預金口座に戻され、同月一九日には、右預金口座の資金を原資として第一勧業銀行亀戸支店大島出張所長振出しの額面五二〇〇万円の德田英治あて小切手が振り出されたこと、昭和六一年一二月二〇日、被告人が自宅として賃借して使用していた東京都杉並区和泉三丁目所在の土地建物を代金合計一億三二三一万九七七四円で所有者の駿台会館株式会社から買い取る旨の売買契約を締結して、手付金及び内金の合計五二〇〇万円を支払ったが、その支払いに前記の額面五二〇〇万円の小切手が使用されており、右金額はリクルートコスモス株一万株の売却代金額にほぼ相当すること、右五二〇〇万円及びファーストファイナンスへの元利返済金を除くリクルートコスモス株の売却代金残金等に関しては、德田秘書が個人的に費消してしまったこと、江副、小野課長は原審公判においては、いずれも一万株は被告人あて、二〇〇〇株は德田秘書あてのもので旨一貫して供述していること等に徴すると、本件リクルートコスモス株一万株は被告人に譲渡されたものと認めるに十分である。
(2) そして、本件リクルートコスモス株譲渡の趣旨に関して、江副は検察官調書(乙書一二)において、「リクルートでは、昭和五九年ころから六〇年ころにかけて、取締役会等で就職協定を遵守させていくために色々な方策をとるべきことを決定いたしまして、その一方策として、官庁の青田買いを防止させるために官庁側に働き掛けを行うことにし、時の文部大臣や官房長官等に、その為の働き掛けをした事実があります。具体的にいつころの取締役会で決定されたのか正確なことは覚えておりませんが、藤波官房長官に対しては、各省庁が学生の青田買いをやっているので、秩序ある公務員の採用活動をやってもらうべく、関係各省庁への善処方をお願いするということを決めて、その後、時期ははっきりしませんが、私の部下の田中専務、辰巳取締役らが官房長官を訪ねて、ただいま申し上げたような趣旨で、就職協定が守られるよう善処方を要請したと聞いております。田中らが藤波官房長官に対し、この就職協定の善処方の要請を何回行ったのか、私はよく記憶しておりませんので、この点については、田中らに確認していただきたいと思います。官庁の採用の最高責任者は官房長官なので、そこにこの問題について要請に行ったのだと思います。」と述べるほか、政府税制調査会の特別委員に就任した経緯を説明した上、「以上申し上げたように、藤波元官房長官に対しては、リクルートが就職協定の問題について、色々お願いしたことや、私の政府税調特別委員への選任等につき官房長官として関与したことなど、そういう関係もあって、リクルートコスモス株の譲渡を行ったものであります。」と述べて、本件各請託に対する賄賂の趣旨を含めて本件リクルートコスモス株の譲渡が行われたことを認めており、これが信用することができることはこれまでの記述から明らかである。なお、関係証拠によると、本件リクルートコスモス株に関しては、店頭登録後に譲受価格の三〇〇〇円をはるかに超える価格まで確実に値上がりすることが見込まれていた上、元来が未公開株であり、株式公開の約二か月前の昭和六一年七月二九日開催の取締役会において株式譲渡の制限が撤廃されるまでは、株式譲渡が著しく制限されていたのであり、店頭登録日には高値がつくことが確実に予想されていたため、一般人が相対取引により店頭登録前にこれを入手することは極めて困難であったことが認められるから、これが賄賂に該当することに疑いを容れる余地はないというべきである。
(3) 続いて、被告人の賄賂性の認識の有無を検討する。前述したように公務員が職務行為に関して請託を受け、客観的に公務員の職務行為と対価関係にあると認められる一定の利益が当該公務員に対して交付された場合には、それが賄賂と認識することが困難であると解されるような特段の事情がない限りは、右利益の交付を受けた公務員には賄賂性の認識があったというべきである。ところが、被告人は、本件リクルートコスモス株一万株を江副から譲り受けたことはなく、德田秘書が個人的に譲り受けたものである旨捜査、公判を通じて一貫して弁解しているのである。しかしながら、本件リクルートコスモス株一万株は被告人が江副から譲り受けたことは、前述のとおり、証拠上明白な事実であり、このように不自然、不合理な弁解に固執する被告人の態度は、賄賂性を認識していたが故にそのような弁解に終始しているのではないかとも考えられないではない。すなわち、被告人が本件株取引の主体であるとすると、その使途等から考えて一般の政治献金とはほど遠いものであって、これがいわゆる政治献金であるというような弁解ができないことになり、そうすると単に被告人の個人的利益を図ったものにすぎないと評価され、これに前記の請託の存在が加われば、それだけでも必然的に賄賂性を帯びることが明らかとなり、ひいては、被告人が賄賂性を認識していたことが否定できない立場に追いやられるため、このような不可解な弁解に及んだのではないかと考えられることである。また、関係証拠によると、藤波事務所においては、大和証券本店営業部の德田英治名義の口座を使用して、藤波事務所の資金を利用して、転換社債や株の取引をひんぱんに行って、相当に高い収益をあげていたことが認められ、被告人においても、これら取引の概要については德田秘書らから知らされていたことが優に認められるのであるから、本件リクルートコスモス株のような未公開株は一般人には入手困難なものであり、店頭登録がされれば確実に値上がりするものであり、これを高値で処分できると知っていたものと優に認定することができる。なお、関係証拠によると、被告人は、自宅購入資金として一億三二三一万九七七四円の支払をしているが、このうち、昭和六一年一二月二〇日に支払われた手付金及び内金の合計五二〇〇万円は、藤波事務所の資金三〇〇〇万円で購入した本件リクルートコスモス株一万株の売却代金が充てられたほか、昭和六二年一月二〇日に支払われた残代金八〇三一万九七七四円は、うち五〇〇〇万円が藤波事務所の株等の運用口座である大和証券本店営業部の德田英治名義の口座資金から、残りの三〇三一万九七七四円が藤波事務所の資金管理口座である東京銀行日比谷支店の德田英治名義の普通預金口座資金からそれぞれ支払われたことが認められる。そして、右売買契約は、契約の日である昭和六一年一二月二〇日に手付金二六〇〇万円及び内金二六〇〇万円を支払い、残金は昭和六二年一月二〇日に支払うという約定であったが、この内容は被告人側の意向で決まったことが認められるところ、契約締結時の支払額としては一般の例に比して著しく高額であり、このことは当初から右リクルートコスモス株一万株の売却代金を右自宅購入資金に充てることを意図していたことをうかがわせるものと考えられ、被告人が当初から政治資金の名目で集めていた資金を政治活動とは無縁の被告人の個人的利益のために使用する意図であったと認められる。このような諸事情を総合すると、被告人が本件リクルートコスモス株一万株の賄賂性を認識していたことは十分推認することができるというべきである。
(4) ちなみに、原判決が被告人に本件リクルートコスモス株譲渡の賄賂性の認識があったとするには疑問があると指摘する諸点について、若干の説明を加えておくこととする。
① 原判決は、昭和五九年三月及び昭和六〇年三月の、江副らリクルート社関係者から被告人に対する官庁による青田買い防止の善処方の依頼があったとはいえないことを理由として、被告人には賄賂性の認識があったとするには合理的疑問が残る、と指摘するが、前述のとおり、江副らが被告人に対して官庁の青田買い防止の善処方の依頼をしたことは明白であるから、原判決は証拠の評価を誤り、ひいては事実を誤認したものというほかはない。
② 原判決は、江副から被告人に対する本件リクルートコスモス株一万株の譲渡に関する電話連絡の際には、これが賄賂であることを示す言動がなかった、と指摘するが、前述したとおり、当事者間において賄賂であることが了解されていれば賄賂罪は成立するのであるから、具体的に賄賂であることを明らかにした言動がなくても賄賂罪が成立することは明らかであり、この点の指摘は賄賂罪の成立を妨げる事情とはなり得ないのであり、原判決の指摘は誤っているというべきである。
③ 原判決は、本件株譲渡の事務に当たった小野と德田との間でも賄賂性を示す言動がなかった、と指摘するが、小野課長と德田秘書は、被告人や江副の指示を受けて、単に本件株の譲渡の事務手続に関与していたにすぎないのであるから、そのような者が事務的に譲渡手続を行ったかどうかは、被告人の賄賂性の認識とは無関係であることが明白であるから、原判決の指摘は誤っているというべきである。
④ 原判決は、賄賂とされる小切手授受の最後は、昭和六〇年一二月の五〇〇万円であるが、その後も昭和六一年六月に一〇〇〇万円の小切手の授受があるほか、更に本件リクルートコスモス株の譲渡がされており、引き続き、その後にも小切手の授受がされており、これら小切手の授受には定期的政治献金の趣旨が含まれていた可能性があり、本件リクルートコスモス株譲渡がそれ以外の趣旨まで含まれていたと認識することは困難である、と指摘する。
しかし、前述したとおり、昭和六一年六月以降の小切手の授受に賄賂性がないとまで断定できない上、水谷秘書において、昭和六一年六月以降の小切手の授受は、それまでの献金とは趣旨が異なる旨指摘しており、右指摘が虚偽であるとして排斥し難く、原判決が指摘するように、定期的献金が同一趣旨の下に引き続き行われていたなどという事実関係ではないことが明らかであるから、いずれにしても、この点の原判決の指摘は前提事実を誤認したものというべきである。
⑤ 原判決は、被告人と江副又はリクルート社との関係は、本件リクルートコスモス株の譲渡が行われても不自然ではないから、被告人には賄賂性の認識に欠けるのではないかとの合理的な疑いがある、と指摘するが、前述したとおり、本件リクルートコスモス株譲渡は賄賂の趣旨で行われ、被告人もこれを認識していたと認められるから、原判決の見解は明らかに誤っているというほかはない。
⑥ 原判決は、昭和五九年及び昭和六〇年の人事課長会議の申合せは、被告人の働きとは無関係に行われたから、リクルート社が被告人に感謝することは考えられない、と指摘するが、前述したとおり、右指摘には前提事実に関する事実誤認があり、採用することができない見解である。
⑦ 原判決は、本件と同様のリクルートコスモス株の譲渡は多数の政治家に対しても行われており、これらと比較して被告人への譲渡には特段の疑問とすべき点が見当たらない、と指摘するが、右指摘は本件の請託が存在しないことを前提とするものであり、その前提事実自体に誤りがあることが明らかであるから、被告人の賄賂性の認識を否定する理由とはならないものというべきである。
⑧ 原判決は、本件リクルートコスモス株の譲渡について德田秘書の名義を用いたことは賄賂性の認識とは無関係の事情である、と指摘するが、前述したとおり、そのような事実は賄賂性認識の一つの情況事実とも考え得るのであるから、賛同することができない見解であるとういうべきである。
⑨ 原判決は、本件リクルートコスモス株の売却資金が自宅購入資金に充てられていること等は、被告人の賄賂性の認識とは関係のない事項である、と指摘するが、前述したとおり、そのような事実も賄賂性の認識に関する一つの情況事実とも考えられるのであるから、賛同することができない見解であるというほかはない。
⑩ 原判決は、本件リクルートコスモス株の譲渡手続は、昭和五九年三月の請託からは二年半、昭和六〇年三月の請託からは一年半が既に経過しているのであるから、被告人が賄賂性を認識するのは困難である、と指摘するが、前述したように、昭和六一年以降の小切手の授受が賄賂性に欠けるとは断定できないものである上、本件リクルートコスモス株の譲渡は、原判決がいう定期的献金とは異なる新たな賄賂の申込みであり、昭和六〇年一二月の小切手の授受からせいぜい一年足らずしか経過していない時期のものであって、その程度の期間の経過があったとしても、それだけでは被告人の賄賂性の認識を妨げるような事情とは考え難く、いずれにしても賛同することができない見解であるというべきである。
(5) そうすると、所論のとおり、被告人が譲渡された本件リクルートコスモス株の賄賂性を十分認識していたと認められるから、これと異なる原判決の見解は証拠の評価を誤り、ひいては事実を誤認したものであるというべきである。
7 結論
したがって、所論が指摘する点はいずれも理由があり、江副らの請託の存在、並びに、被告人の供与された本件小切手及び譲渡された本件リクルートコスモス株に関する被告人の賄賂性の認識について、その証明が十分でないとして、無罪を言い渡した原判決には、証拠の取捨選択及びその評価に重大な誤りがあり、その結果事実を誤認したものというべきであって、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。
よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書に従い被告事件について更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、衆議院議員であり、昭和五八年一二月二七日から昭和六〇年一二月二八日までの間、国務大臣である官房長官として、内閣の庶務、行政各部の施策に関するその統一保持上必要な総合調整等の内閣官房の事務を統轄する等の職務に従事していたものであるが、民間企業の大学等卒業予定者の早期採用選考を防止して求人求職秩序の確立を図るため、民間企業が行う求人活動等につき、企業と大学等卒業予定者の接触開始日を卒業前年の一〇月一日、企業の採用選考開始日を同年の一一月一日とする旨の日経連等の雇用者団体で構成する中央雇用対策協議会及び国立大学協会等で構成する就職問題懇談会の各申合せである就職協定が遵守されていないことを知悉していたところ、
第一 昭和五九年三月中旬ころ、東京都千代田区永田町二丁目三番一号内閣官房長官公邸において、民間企業から掲載料を得て大学等卒業予定者向けの求人に関する諸情報を掲載する就職情報誌の発行、配本等の事業を営むリクルート社の代表取締役である江副から、民間企業における就職協定が遵守されないのは、国の行政機関が公務員の採用に関して就職協定の趣旨を尊重しないことに一因があり、就職協定が存続、遵守されないとリクルート社の前記事業に多大の支障を来すので、国の行政機関において就職協定の趣旨に沿った適切な対応をするよう尽力願いたい旨の請託を受け、その報酬として供与されるものであることを知りながら、
一 昭和五九年八月一〇日ころ、同区永田町二丁目一〇番二号秀和永田町TBRビル八〇七号室藤波事務所において、江副らから、リクルート社代表取締役江副振出しに係る金額二〇〇万円の小切手一通及び株式会社リクルート情報出版代表取締役江副振出しに係る金額三〇〇万円の小切手一通を受領し、
二 昭和五九年一二月一九日ころ、前記藤波事務所において、江副らから、リクルート社代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手三通(金額合計三〇〇万円)及び株式会社リクルート情報出版代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手二通(金額合計二〇〇万円)を受領し、
第二 昭和六〇年三月上旬ころ、前記公邸において、江副らから、前記第一記載と同様の請託を受け、その請託及び前記第一記載の請託の報酬として供与されるものであることを知りながら、
一 昭和六〇年六月二六日ころ、同区永田町二丁目三番一号内閣総理大臣官邸において、江副らから、リクルート社代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手五通(金額合計五〇〇万円)を受領し、
二 昭和六〇年一二月五日ころ、前記秀和永田町TBRビル六〇二号室藤波事務所において、江副らから、株式会社リクルート情報出版代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手五通(金額合計五〇〇万円)を受領し、
三 昭和六一年九月三〇日ころ、前記藤波事務所等において、江副らから、同年一〇月三〇日に日本証券業協会に店頭売買有価証券として店頭登録されることが予定されており、右登録後確実に値上がりすることが見込まれ、江副らと特別の関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難であるリクルートコスモスの株式を、右登録後に見込まれる価格より明らかに低い一株当たり三〇〇〇円で一万株譲り受けて取得し、
もって、自己の前記職務に関して賄賂を収受したものである。
(証拠の標目)<省略>
(争点に対する判断)
既に所論に対する判断として示した点を除く、その余の争点に対する当裁判所の判断は、以下に述べるとおりである。
一 公務員の青田買い防止と官房長官の職務権限について
弁護人は、官庁による公務員の青田買い防止に関しては、官房長官には職務権限はない、と主張する。
しかしながら、
(1) 内閣法によると、官房長官は、内閣官房に置かれる国務大臣であって(一三条一項、二項)、「内閣官房の事務を統轄し、所部の職員の服務につき、これを統督する」(同条三項)地位にあること、そして、内閣官房は、内閣に置かれ(一二条一項)、「閣議事項の整理その他内閣の庶務、閣議に係る重要事項に関する総合調整その他行政各部の施策に関するその統一保持上必要な総合調整及び内閣の重要政策に関する情報の収集調査に関する事務を掌る」(同条二項)ほか、「政令の定めるところにより、内閣の事務を助ける」(同条三項)こととされていること、また、昭和五九年七月一日施行の昭和五八年法律第八〇号総理府設置法の一部を改正する等の法律による総理府設置法では、官房長官は、「内閣法(昭和二二年法律第五号)に定める職務を行うほか、内閣総理大臣を助け、府務を整理し、並びに総理府(法律で国務大臣をもってその長に充てることと定められている機関を除く。次条第二項において同じ。)所管の事項について、政策及び企画に参画し、政務を処理し、各部局及び機関の事務を監督する。」(六条)こととされ、同法は、総理府の所掌事務として、「総理府は、次に掲げる国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関とする。一 栄典に関する事務、二 各行政機関の施策及び事務の総合調整」(三条)、「各行政機関の事務の連絡に関すること」(四条二号)と規定していること、
(2) 行政各部の施策の統一を図る必要がある場合には、各大臣が任意に協議してその統一を図ることも考えられるが、内閣官房の事務を統轄する地位にある官房長官において、「行政各部の施策に関するその統一保持上必要な総合調整」として、あるいは「閣議に係る重要事項に関する総合調整」として、行政各部の施策の統一を図るため、行政各部と連絡、協議し、あるいは閣議で統一を図る前提として、総合調整をし、又は閣議での調整案を策定するなどのことが考えられ、これらが官房長官の職務に属することは前示の内閣法等の規定からしても明らかであること、
(3) 国家公務員の採用権限は、内閣、各大臣、各外局の長等の任命権者又はその委任を受けた者にあり(国家公務員法三五条、五五条一項、二項)、行政各部に属するものであるが、行政各部において、民間の就職協定の趣旨を尊重して青田買いには及ばないことを申し合わせながら、その申合せが守られていない場合等に、行政各部が申合せを守り公務員の青田買い等に出ることがないよう、官房長官において行政各部の施策の統一を図るために総合調整をすること等は、前示の内閣法等の規定からしても、官房長官の職務に属するものであることは明らかであるというべきであること
からすれば、官房長官に公務員の青田買い防止に関する職務権限がないとする弁護人の主張が採用し得るものでないことは明らかである。
弁護人は、官房長官に公務員の青田買いを防止するための調整等をする職務権限がないとして、①内閣官房の主任大臣は、内閣法一八条により、内閣総理大臣とされているから、官房長官は、主任大臣である内閣総理大臣を補佐する立場にあるにすぎず、固有の行政事務の分担を受けていない、②内閣法一二条二項所定の「行政各部の施策に関する総合調整」は、最終的には内閣の閣議によって行われ、内閣の補助機関にすぎない内閣官房及びこの事務を統轄する官房長官は、閣議決定、閣議了解という方式で必要性を明示された場合に初めて補佐することができるにすぎない、③国家行政組織法一一条からしても、行政事務を分担管理しない国務大臣には閣議請議の権限はない、このことは、これまでに官房長官が閣議を求めた事例がないことからも明らかである、④行政各部の施策の統一保持上必要な総合調整に関する事務は内閣審議官の所掌に属するが、閣議に係る重要事項及びこれに類する事項に限られており、慣行として行われている事務次官等会議においては格別、就職協定協力事務のような細目的事項が閣議の対象となることはない、⑤行政各部の総合調整は、昭和五九年七月一日より前は総理府人事局が、また、同日以降は、総務庁人事局が所掌しているのであり、官房長官が所掌するものではない、⑥人事課長会議は、各省庁間の情報交換のための単なる事実上の存在であり、内閣官房の内閣参事官の所掌事務ではない、などとるる主張する。
しかしながら、①補助機関であるが故に行政事務を所掌しないといえないことは明らかであり、内閣法によると、内閣官房長官は、「閣議事項の整理その他内閣の庶務、閣議に係る重要事項に関する総合調整その他行政各部の施策に関するその統一保持上必要な総合調整及び内閣の重要政策に関する情報の収集調査に関する事務」を所掌する内閣官房の「事務を統轄し、所部の職員の服務につきこれを統督する」地位にあることは前示のとおりであり、一定の範囲では行政事務を所掌していることが明らかであること、②官房長官が、内閣の意思決定をまつことなく、「行政各部の施策に関する総合調整」の事務を行うことができることは内閣法の規定からも明らかであること、③国家行政組織法一一条は主任の行政事務に関して法律、政令の制定等を求める場合の手続を定めたものであり、内閣法によれば、行政事務を担当しない国務大臣であっても閣議を求めることができることは明らかであること、また、これまでに官房長官が閣議を求めた事例がないことが、官房長官に閣議を求める権限がないことの根拠になるものではないこと、④関係証拠によれば、公務員の青田買い問題について、これまでにも現実に閣議決定ないし閣議了解がされたことが認められ、公務員の青田買い問題が閣議案件に値しない細目的事項であるとは認められないこと、⑤総理府人事局(総務庁人事局)は、ILO八七号条約の批准に伴い、国家公務員の使用者である政府を代表する人事管理の責任体制を確立・整備するために設置されたものであること、その所掌事務は、人事院の所管事務(国家公務員の給与その他の勤務条件の改善及び人事行政の改善に関する勧告、職階制、試験及び任免、給与、研修、分限、懲戒、苦情の処理その他職員に関する人事行政の公正の確保及び職員の利益の保護等に関する事務)を除く、国家公務員の能率、厚生、服務に関する事務のほか、各行政機関がその職員に関して行う人事管理に関する方針、計画等の総合調整等とされていることなど、総理府人事局(総務庁人事局)の設置の経緯及びその分掌事務の内容等からしても、総理府人事局(総務庁人事局)が民間の就職協定との協力事務を担当しているといえないことは明らかであること、⑥関係証拠によれば、人事課長会議は、内閣参事官が主宰し、各省庁の人事担当課長を招集して開催されるものであり、行政各部の人事に関して、内閣の方針の連絡等の内閣の庶務ないし行政各部の施策の総合調整等を行うために実施、運営されていたものであることが明らかであり、したがって、これが内閣参事官の所掌事務であって、官房長官が内閣参事官を指揮監督する関係にあることが明らかであること等からすると、弁護人の主張がいずれも理由がないことは明らかである。
したがって、官庁の青田買い防止の問題について、内閣官房長官が一般的職務権限を有していたことは明らかである。
二 本件請託の具体性について
弁護人は、本件請託の内容は、「国の行政機関において就職協定の趣旨に沿った適切な対応をするよう尽力願いたい」というのであり、請託の内容に具体性を欠くものであって、最高裁昭和三〇年三月一七日第一小法廷判決(刑集九巻三号四七七頁)にも反するものである、と主張する。
しかしながら、右判例は、請託の対象となるべき事項が、一定の職務行為ではなく、単に工事の監督促進について依頼したにすぎないから、請託には該当しないというのであり、本件がそのような事例ではなく、被告人の官房長官の職務行為として官庁による青田買いの防止の善処方を依頼したものというのであるから、弁護人の主張が失当であることは明らかである。
三 リクルートコスモス株譲渡の事後収賄性について
弁護人は、被告人にリクルートコスモス株一万株が譲渡されたのは、昭和六一年九月三〇日であって、被告人が内閣官房長官の地位を去ってから既に九か月が経過した後であり、当時は衆議院議員の地位にあったにすぎないから、リクルートコスモス株一万株の譲渡については賄賂罪が成立しない、と主張する。
しかしながら、公務員が他の職務に転じた後、前の職務に関して賄賂が授受された場合、転職前後の職務権限の同一性の有無にかかわらず、賄賂の授受の当時に公務員である限りは賄賂罪が成立するとするのが判例(最高裁昭和五八年三月二五日第二小法廷決定・刑集三七巻二号一七〇頁、最高裁昭和二八年四月二五日第二小法廷決定・刑集七巻四号八八一頁)の立場であり、弁護人の主張は右判例の立場とも異なる独自の見解というべきものであって、採用し得るものでないことは明らかである。
四 政治献金であるとの点について
弁護人は、被告人については、請託が存在しないから、本件各小切手供与及びリクルートコスモス株譲渡はすべて政治献金として適法なものである、と主張する。
しかしながら、江副らからの被告人に対する請託が存在していた上、本件各小切手供与及びリクルートコスモス株譲渡が賄賂性を帯びており、被告人において賄賂性の認識があったことは前述のとおりであるから、本件各小切手供与及びリクルートコスモス株譲渡が政治献金ではなく、賄賂であることは明らかであり、弁護人の右主張が採用し得るものでないことは明らかである。
五 リクルートコスモス株譲渡に関する追徴額について
賄賂である譲渡された本件リクルートコスモス株一万株については、既に売却処分されており、没収することができないから、賄賂相当額を追徴すべきことになるが、その追徴額は、本件リクルートコスモス株一万株が譲渡された昭和六一年九月三〇日における賄賂としての利益の価額であるというべきところ、具体的には、本件賄賂の授受の時点における右リクルートコスモス株一万株の価格から被告人の譲受け価格を控除した額と解される。そして、関係証拠によると、本件当時店頭登録された株式のうち、分売の方法で株式公開の行われたものの店頭登録日の初値はすべて最高分売価格となっていた上、その後の一般取引開始後の株価は相当期間にわたって初値を上回って推移していたこと、本件当時の株式市場は市況としては全体に好調であり、リクルートコスモスを含む不動産業界は極めて業績が良く、リクルートコスモスの業績も好調であり、これが店頭登録されれば、最高分売価格で初値が決定され、その後の株価も相当な期間にわたって初値以上で推移することが確実であったこと、本件株式の最高分売価格は五二七〇円であったが、翌日以降も右価格以上の取引が続いていたものであり、現実の処分価格も五二七〇円であったことが認められる。そうすると、本件リクルートコスモス株一万株の価格は五二七〇円であったというべきであり、その購入価格は三〇〇〇万円であったから、譲渡された本件リクルートコスモス株一万株の賄賂の価額は、五二七〇万円から三〇〇〇万円を差し引いた、二二七〇万円であるというべきである。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、包括して平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法による改正前の刑法一九七条一項後段に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、被告人が判示犯行により収受した賄賂については没収することができないから、同法一九七条の五後段により、その価額合計四二七〇万円を被告人から追徴し、訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文を適用して、訴訟費用中、別紙記載の分は被告人に負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、当時官房長官であった被告人が、民間企業から掲載料を得て大学等卒業予定者向けの求人に関する諸情報を掲載する就職情報誌の発行、配本等の事業を営むリクルート社の代表取締役である江副らから、民間の就職協定の趣旨に沿って、官庁による公務員の早期採用(青田買い)を防止してもらいたいとの請託を受け、その報酬として供与されるものであることを知りながら、金額合計二〇〇〇万円の小切手を受領したほか、値上がりが確実なリクルートコスモス株一万株を秘書の德田英治名義で譲り受け、二二七〇万円の利益を得たという受託収賄の事案である。
被告人は、内閣官房の最高責任者である国務大臣として、内閣総理大臣を助けて、行政を公正かつ廉直に推進するという極めて重要な職責を有しながら、江副らから請託を受け、繰り返し多額の利益を受け取っていたものであって、自らの重要な職責に対する自覚を欠き、その結果国政に対する国民の信頼を著しく傷付けたものとして、強い非難に値するものであるというべきである。また、被告人は、私設秘書の給与を負担してもらったり、多額の会費を必要とする後援会の会員等になってもらったりしていた中で、請託の報酬として、年間一〇〇〇万円もの金員の供与を受けたほか、一般人が入手することが極めて困難なリクルートコスモスの未公開株を藤波事務所の政治資金を使用して廉価で取得し、短期間の内に二二七〇万円という巨額の利益を得た上、右株売却代金の全額を政治活動とは直接関係のない自宅の購入資金として使用しており、しかるに、被告人は、結果的に小切手を受領したことは認めるものの、その趣旨を否認するだけではなく、リクルートコスモス株の取得に関しては、秘書の德田英治が個人的に行ったものであり、自分は関与していないと一貫して弁解するなど、反省の態度は認められず、これらの点でも厳しく責められてもやむを得ないところがある。このような諸事情を考慮すると、本件の犯情は芳しくなく、被告人の刑事責任を軽視することはできないというべきである。
しかしながら、本件は、大学等卒業予定者に対する求人に関する諸情報を掲載する就職情報誌に関して業界で圧倒的シェアを有するリクルート社の江副らの働き掛けに乗せられたという側面もあること、被告人が受けた請託の内容は、国の行政機関が大学等卒業予定者の採用に際して公正さを保つことを求めるというものであり、結果的にはリクルート社の利益を図る行為ではあるものの、それ自体としては違法不当な点は見当たらないものであって、具体的に行政の公正さ等が害されるようなものではなかったこと、被告人は、長年にわたり、衆議院議員として活動しており、その間、労働大臣や官房長官等の要職を歴任するなど、国政に関与して多大の業績をあげていたが、本件が発覚したことにより、長期間にわたって、被疑者、被告人の立場にさらされ、国民一般からの厳しい非難を受け続け、その後の衆議院議員選挙においても落選するという経験をするなどの社会的制裁を受けていることなど、被告人のために酌むことのできる諸事情を併せて勘案すると、主文のとおり、長期間の執行猶予を付した懲役刑に処するのが相当であると考えられる。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官岡田良雄 裁判官大渕敏和 裁判官樋口裕晃)
別紙<省略>